ラブレター
第14話
半年後、いつものように慎吾と面会していると、予想もしていなかったことを切り出される。
「結婚しよう」
長い人生においてなかなか聞けないその台詞に、結衣の中の時間が確実に止まる。
「えっ、今、何て?」
「いや、だから結婚しよう」
「はっ?」
頭に思い浮かんだ言葉がそのまま口より噴出する。
「意味わからないんだけど」
「そう言われると返す言葉がないよ。とてもわかりやすいプロポーズだと思うんだけど?」
「いやいや、ホント意味わからないから。なんでこのタイミングで結婚? 手すら握ったことない相手に。しかも受刑者で加害者なのに」
「うん、結衣が好きだからだよ。それ以上説明いる?」
「いるよ。まだ一緒に暮らしたこともないのに結婚なんて早すぎる。どうしたの急に?」
「実は良いことが分かったんだ」
「良いこと?」
「前に結衣が言ってたじゃん。獄中結婚ができるってこと」
「ええ」
「結婚すると夫婦ってことで身元引受人が可能になるかもしれないんだ。加害者被害者の関係より夫婦関係の方が優先される公算が高いらしい。あくまで可能性だけど、保護会よりはずっと早く保釈貰えるよ」
(なるほど、確かに夫婦関係が一番身元引受人としては強いし、慎吾君の意見は一理ある。でも、保釈のための婚姻関係を結ぶというのもちょっと浅ましい気がする……)
「慎吾君の言いたいことは分かったわ。一日でも早く私を保釈させるために結婚したいのね」
「そうだよ。それにいずれ結婚すると思うし、一石二鳥かなと」
「気持ちは嬉しいけど、結婚となるとまた話が違ってくる。わりと重要な話だし」
「じゃあ、結衣は僕と結婚したくない?」
「正直言うと結婚までは考えてなかった。今はただ慎吾君と彼氏彼女の関係だあれるだけで幸せだし奇跡だと思ってるから」
「そっか、そこまで真剣に僕のことを考えてくれてないってことか」
顔色が曇る慎吾を見て結衣は焦る。
「真剣に考えてないなんてことないわ。私だって交際を通じていつかは結婚したいと思う。でも、私は慎吾君にとって加害者。結婚どころか恋人すら上手く行くか自信がない。簡単に結婚なんかして慎吾君に迷惑かけさすようなことはしたくないの」
「迷惑? 僕が結衣を迷惑だなんて思う訳がない。もし、本当に僕のことを考えてくれていると言うのなら、一日でも早くここを出て、一分でも多く僕の元に居てくれ。それが僕の一番の望みだ。それが償いにだってなる」
真剣な眼差しで語られ、結衣は気圧される。
(どうしよう。慎吾君、本気で結婚を考えてる。私だって結婚してこの幸せを永遠のものにしたい。けど、本当にう上手く行く自信がない。ああ、こんなとき加奈がいてくれたら……)
一足先に仮釈放された加奈を思い一人苦悩する。
(慎吾君の望み。それが一日でも早く私との生活というならば、それに従うのが本当な気がする。仮に上手くいかず離婚するようなことになっても、それはそのときに考えればいいことなのかもしれない)
「慎吾君」
「何?」
「早く出て、慎吾君の側にいることは、償いになるの?」
「なるに決まってる。僕の側で汗水たらして家事をして美味しい料理を作って、寝不足になりながら子育てもさせる。主婦なんて一年中休み無しで刑務所なんかよりずっと大変だ。僕は亭主関白だから何もしない。考えただけでも大変さは分かるはずだ。十分な償いをするって言うのなら、これから一生、僕の側で悩み苦しんで償ってくれ。代わりに僕が結衣を幸せにする」
(慎吾君……)
涙が勝手に溢れ結衣は恥ずかしくなり俯いてしまう。
(嬉しい、今すぐ言いたい。貴方の側に居たいと。でも、どうしても踏ん切りがつかない。飛び込みたい気持ちと贖罪の気持ちがせめぎ合って答えを出せない……)
泣いて黙り込む結衣を慎吾は優しい瞳を向け見守る。敢えて何も言わず見つめていると結衣はゆっくり顔を上げる。
「私は貴方が考えるほどいい女じゃない。事件から逃げた最低の女。とてもじゃないけど釣り合わない。貴方にはもっと相応しい女性がいる」
「いないよ。お言葉だけど、そんな人はいない。僕を傷つけその傷の償いをできる人はこの世でただ一人。結衣だけだ」
(慎吾君の言わんとするところは理解できる。一生を懸けて慎吾君の側で償うという行為が私にとっても最良だということを。そして、それが私の幸せを思っての提案だということも。でも、私は……)
「ごめんなさい。突然のことでホントなんて返事していいか分からない。少し考える時間、貰えるかな?」
「分かったよ。じゃあ来週の金曜日はどうかな? もっといる?」
「いいえ、一週間で十分。ありがとう、慎吾君」
「僕、この一週間、眠れそうにないよ」
おどけて見せる慎吾の笑顔が眩しくて結衣はまた泣きそうになっていた。
幸せな気持ちと戸惑いの気持ちを抱きながら寮に戻ると、霧子が話し掛けてくる。
「あれ、もしかして結衣さん泣きました?」
目の充血を見られ結衣は目をこする。
「うん、ちょっとね」
「もしかして、喧嘩ですか?」
「ううん、違うの。その逆ね。彼にプロポーズされた」
「えっ!? プロポーズ!」
寮内に響き渡るほどの声に全員が結衣の方を向く。
「何か凄い話ですね。入寮したばかりで、こんな昼ドラ展開を現実で目の当たりするなんて思いませんでした」
「安心して、私自身もの凄く戸惑ってるし、ありえない事が起こってるって理解してる」
「いいなあ~、私も刑務所内ながらもキュンキュンした恋がしたい」
「いやいや、キリちゃん旦那さんいるでしょ」
「今更旦那にキュンキュンなんて。この際、結衣さんみたいに離婚してくれたって思うけど、出所まで待つとか力説されて参りましたよ」
「それは贅沢な悩みよ。私だってまだこの先どうなるか分からないんだから」
「プロポーズはどうするんですか?」
「まだ考え中。冷静に考えて返事したいから」
「なるほど。ふむふむ……」
珍しく考え込む霧子を見て訝しがる。
「キリちゃん?」
「明日のお昼、お時間頂けます?」
人差し指を立てて提案してくる霧子に戸惑うも、断る理由もなく結衣は頷いた。