いろはにほへと


「ありがとうございましたー」


店員の声がして、外気に触れて、やっと目を開く事ができた。


「大丈夫?」


目を開けた先には、心配そうに覗き込む桂馬の姿。


「だ、大丈夫です…」


返事とは裏腹に、腰が抜けたようにへなへなと脱力する私を、桂馬が抱き止めた。

否。

抱き締められた。


「け…まくん…私…乗り越えられた…のでしょうか…」


苦しい位の抱擁の中。

私は半ば茫然としながら、訊ねる。


「越えたよ。」

私を安心させるように、求めている言葉をくれる桂馬。

外の空気が冷たいから。
目の渕に溜まる水がある。
そう思える程に。
涙と認識しないでいられる程に。
どんどん湧き出ていた悲しみは、薄らいだ。


ー越えたんだ。


自分の中でも、言い聞かせる。

途端、我に返った。



「あ!だ、だめです!こんな所でこんなことしていては!!!!」




またマスコミに取り上げられたら大変だ。

どーん、と、桂馬の胸を強く押すと、突然の事に桂馬がよろめく。


「あの!そう!そういえばお会計はどうなさったんですか!?」



色々気になる事が出てきた私に、桂馬は目を細めるなんてもんじゃなく、にっこり弓形になる位笑んで。


「さっき席を外した時に払った。」

「あぁ!そうだったんですね!?気付かず申し訳ありません。毎回というわけにはいきませんので、自分のもの位は自分で払います。お幾らだったか、教えていただけたら……」


そこまで言ってから気付く。

桂馬がここまで笑うことは滅多にないと。


「あの、聞いてます?」

「ひな。俺、今、どつかれたんだけど、怒ってないと思う?」

「は、あ、いえ…その…どついたと言いますと語弊が…」

「物には謝り方ってあるよな?」

「!?!?!?!」
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