いろはにほへと
「もう直ぐ始まりますけど、大丈夫ですかー?」
突然声が掛かって、はっと振り向くと、黒いジャケットを羽織った男性スタッフが心配そうに私を見ていた。
「気分悪いですか?救護室連れて行きましょうか?」
「……いえ…大丈夫、です…」
一瞬固まってしまったが、なんとか首を振って、会場に戻ろうか、帰ってしまおうか、逡巡する私。
「あ、…その…私、、こういうコンサートとか…初めてで…ちょっと人の多さに驚いてしまって…後から、入ろうかなぁ、なんて…」
訝しげにこちらを見ている男性の視線を痛いほど感じつつ、言い訳じみた事を呟くと。
「ルーチェのライブは、最初からちゃんと観ないと、勿体無いですよ。」
男性はきっぱりと言い切った。
黒いキャップにはLUCEの文字。
ジャケットには、年号と今日の日付が入っている。
「ーーーチケットが手に入らなくて、それでも来たくて、っていう人達、沢山いますよ。」
そう言って、私の背後を指差すので、私もつられて見る。
「あ…」
人は疎らになったと思っていたが、単に気が付いていないだけだった。
建物をぐるりと囲うように、大勢の人が立ったり座ったりして、中に入ることなく開演を待っている。
チケット譲ってくださいと書かれた画用紙を持っている人も居る。
「体調が悪くないんだったら、観て、損はないと思いますよ、絶対に。ルーチェは期待外れにはならないって、保証しますから。」