いろはにほへと
「俺は、ひなののこと、そういう風に思ったことは、一度もないよ。」





いつもとは違い、きっぱりとした口調で言い切る。





「でも、今のひなのの考えた方も、間違っているとは思わない。」





雨はまだ降っている。




「いろはにほへとって歌、知ってる?」




トモハルに抱き締められていることに動揺しながらも、小さく頷いた。




「あれは、全部音が違う47文字で出来てる歌、奇跡に近い歌なんだよ。普通そんなことできない。ひとつでも同じ音があったら、完成しなかった。」





言いながら、トモハルは、いつか書斎で姫子さんがしてくれたのと同じように、優しく私の頭を撫でた。






「だから、無理に誰かと一緒にならなくてもいい。ひなのは、ひなのらしく居て良い。けど、そのひなのらしさは、誰かに決められちゃ、駄目だよ。」





そこまで言って、トモハルは私と少し距離を開けると、私の目から眼鏡を取った。




暗闇の中で、二人の視線が絡み合う。





「大事な人は、多くなくていい。自分のこと分かってくれる人を、一人でも良いから見つけな。」






俺が、その一人になってあげられればいいんだけど、とトモハルが言うから、別れが際立つようで、余計に辛かった。




でも、トモハルの言った言葉が。




『大事な人は、多くなくていい。』



『人が生きるのに、必要なものは、そんなに多くない』




父のそれによく似ていて。




トモハルはやっぱり。




父のように、優しい人なんだと思った。
< 78 / 647 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop