明日の地図の描き方
「べろべろばー」
赤ちゃんあやしてるんじゃないよ。昼食前の口腔体操してるの。
「次は頬を膨らましますよ〜!片方ずつ左右交互にいきまーす!」
右、左、右、左…うんうん、皆さんできてますね。
口腔体操というのはお口の体操。舌や頬を動かして、唾液の分泌を促し、誤嚥リスクを下げる効果がある。
そしてこの体操の一番のいい所は、皆が笑顔になれること。だって、表情が人それぞれでホントに楽しいんだもん。
「さすがですね、前島さん」
「はっ⁈ 何がですか?」
昼食後の休憩時間。今日は藤堂さんと一緒。
「さっきの口腔体操、見事なリーディングでしたよ」
ああ、なんだ、あれか…。
「見事も何もないですよ。単なる慣れですから」
前の施設でよくやってただけだからね。
「慣れってだけじゃなさそうでしたよ。さり気なく全員の様子見てたみたいだし」
ギクッ!
「前島さんって、前の仕事で上役張ってたでしょ」
ギクギクッ!バ…バレてる…。
(…まっ、今更か…)
「そんな時もありましたけど、途中退職した人だから。私は」
ははは…と乾いた笑い。藤堂さんは笑わなかったけどね。
「仕事も上に立つと大変ですよね。自由に動けなくなるし、責任も重くなるし…」
しみじみ理解してくれる。藤堂さん自身、ここの保育チームの責任者だから、やっぱりいろいろあるのかも。
「藤堂さんも大変なんですか?」
余計な一言だったな…と、言った後から思ったよ。
「そーなんですよ!大変なんですよ!話、聞いてくれます?」
「うっ…」
(うーん…聞いたら怒るよね。あの人…)
頭の中に浮かぶ実直そうな横顔。怒らせると、多分一番厄介だもんね…。
口ごもる私見て、藤堂さんが拗ねる。
「やっぱり…誰も聞いてくれないんだ…」
昨日は玉野さんにもフラれたし…って、そんなに悩んでんの⁉︎
「あ、あの、別に聞かないって言ってる訳じゃなくて…」
「じゃあ、聞いてくれますか⁉︎ 」
嬉々としてる。ヤバイ、口滑った…。
「やっぱ、さすが同期だ。ありがとうございます。前島さん!」
同い年だから仲良くしましょう…と、確かに言われたけどさぁ。
「あ、あの、一回きりですよ!」
ごめんなさいトオル君、一度だけだから。
「一回でもいいです。聞いてもらえるならウレシーです!」
そりゃね、同僚として、悩みは分かち合った方がいいと思うけど…。
先に報告するべきか。それともやめておくべきか…。
(したって多分、怒られるよね…。だったら内緒にしとこう。どうせ一回きりだし)

そんな訳で、仕事が終わった後、駅前のファストフード店で待ち合わせ。
(懐かしい、ここ。トオル君とお見合いした場所だ…)
あの窓際の席に座ったんだよね…と、思い出してたら……
「あっ!前島さんっ‼︎ 」
聞いたことのある大きな声に振り向いた。
「雪乃…。薫ちゃんも…」
同じ部署だった、前の職場の若い子達。
(最悪!タイミング悪すぎるよ。今日…)

「お元気でしたか?お体の調子、いくらか良くなられましたか?」
「仕事辞められて、雰囲気すごく変わったと聞いてたんですけど、ホントだったんですね」
お団子ヘアにナチュラルメイク。そんな私しか知らないこの子達にとって、今の姿はどう映ってるだろ…。
「体は良くなったよ…。あの時はごめんね。急な辞め方して」
あの頃は、他の事なんて考える余裕ない程、追い詰められてたからな。
「いいんですよ!少しバタバタはしましたけど、すぐに慣れましたから」
「それより同じリーダーさん達、皆心配してましたよ。前島さん何でも一生懸命だったから、大丈夫だろうかって…」
「そう…」
そう思ってくれてたんだ…。申し訳ない…。
「今、仕事どうされてるんですか?」
「してるよ。デイサービスでバイト」
「バイト⁉︎ 前島さんが⁉︎ 」
「うそっ!勿体ないっ!」
「勿体ないって…そんな事ないよ」
楽しく働いてるんだよ…と言おうとしたら、二人に止められた。
「勿体ないですよ!リーダーの中でも出世株だったのに!」
「戻って来て下さい!皆、待ってますよ!」
(待ってますよと言われても…)
今更あのハードな毎日に、戻れる自信も気持ちもないのに…。
(困ったな…)
二人の気持ちは嬉しいけど、返って負担だ…。
「あの…ちょっといいかな?」
「あっ…」
藤堂さん…いつの間に⁈
「さっきから聞いてたんだけど、前島さん、今うちの大事な即戦力だからさ、勝手にヘッドハンティングしないでくれる?」
間に割って入り、アッサリ言いのけてくれる。
雪乃と薫ちゃん、二人とも唖然とした表情で私を見た。
「今働いてる所の同僚の人」
名前までは紹介しなかったけど、それ聞いて、二人がニヤついた。
「前島さんの彼氏⁈ 」
きゃっきゃっ言ってはしゃいでる。
「やだっ、違うわよ!」
「きゃーっ、絶対そうだしー!」
…って、ちょっと、人の話聞いてる⁉︎ 否定したでしょっ!今‼︎
まるで聞く耳持ってない。この子達、相変わらずなんだな…。
「あっ…私達、お邪魔ですね。失礼します」
「前島さん、またいつか!」
「…皆によろしくね!」
騒がしい背中に向かって手を振る。やれやれ、やっと静かになった…。
はぁ…と溜め息つく私の向かい側に、藤堂さん着席。そっか。この人の話聞く為に、ここに来たんだった。
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