Again
ドレッサーに座ると、メイクを始めた。葵は覚悟を決めて、外に観光と食事に行くことにしたのだ。ホテルのフロントに行けば、観光パンフレットぐらいは置いてあるのが普通で、食事はホテル内でとればいい。それも敷居が高ければここはフランス、お腹を満たしてくれるパン屋くらいは直ぐに見つかるだろう。



それよりも心配なのは、仁に見つからない様にする事だ。観光客の多いフランスの街で、日本人は珍しくもないが、それでも目立つだろう。変装など出来るはずもなく、トランクを開けて悩む。





「確か仁さんは明日まで私と観光出来る予定だったはず。明日までなんとか過ごせば仁さんは仕事だから街で会う事もない。でも、潤さんと会ったら? ううん、仁さんの秘書だもの、一緒に行動しているから大丈夫よね」





葵は一人ぶつぶつと会わないようにするための工作を練る。それだけで神経を使った。ホテルの近所だけ出かけて見るのもいいと一瞬思ったが、パリにいるのに何も見ない、買わない、食べないではつまらないと思い切って行動することにした。





「久美に買い物も頼まれているし、仁さんがいるホテルから距離があるから大丈夫。日本だってばったりなど会わないのだから大丈夫。よし、観光しよう。考えるのはそれからでもいいよね」





誰に答えを求める訳でもないが、問いかけてみる。何かに確認しなくてはいられない今の状況だ。答えは葵自身が出さなくてはいけない。重い決断をしなくてはいけないのか、寛容な決断をしなくてはいけないのか、仁の顔を見るまでは、無理だろう。



感情に任せて一気に答えを出してしまう可能性だってある。そうならない為にも、切り替えが必要だ。

メイクを済ませ、貴重品をトランクから出して金庫に入れる。トランクの鍵をかけ、クローゼットに仕舞うと、ガイドブックとバッグを持って部屋を出た。



仁に見つけて欲しかったのか、見つからないで良かったのかは分からないが、どうにか葵は仁に会う事もなく主要な観光地を巡り、頼まれた物、お土産と、買い物を全て済ませることが出来た。それだけでも大満足だった。こんなことになっているとは誰にも知られてはいけない。なにが何でも仁の両親、葵の家族の土産は用意しなくてはならないのだった。



旅に出て、こんなにホテルにいるのは、初体験だ。観光地を巡り、食べ歩きをしてホテルに戻れば、すっかり休む時間になっている。これが旅の常というものだ。しかし、仁に会わないようにするためには、ホテルに籠っているしか方法はない。一度買い物に出ると、食料を買い込み、ホテルに缶詰めになった。

観光地巡りも、見つかりやしないかと、ハラハラドキドキしながら回った。



そして明日は帰国する日になっていた。明日は、空港に仁が来る可能性が高い。かなり早く空港に行き手続を済ませてしまえば、仁が空港にいたとしても葵とは接触は出来ない。





「荷物増えたなあ、それにバカみたい。期待して高い下着まで買って……自分しか見なかったじゃない」





荷物の整理をしながらそんな事をつぶやく。久美と下着を買いに言った事を思い出していた。その時はこんなことになるとは想像もしていなかったことだ。人生は何が起こるか分からない物だ。



手荷物が増えた時用に用意していた携帯ボストンを広げて、家族のお土産、久美の買い物を入れる。葵は、フランスのブランドで、バレーシューズ、ボーダーのカットソーや肌触り抜群のインナーウエアを買った。買い物も久しぶりで楽しかった。



スマホで色々な場所を写真に収め、自分で自分を撮りその画像も可笑しかった。何度か日本人観光客に撮影を頼み、そこで少し話をして旅の楽しみもあった。「一人旅なんて勇気あるんですね」なんて言われ、複雑な思いだった。



マニュアル通りになってしまったが、念願のヴェルサイユ宮殿、ルーブル美術館も行けた。ブランド街も、店に入る勇気はなく、ウインドウショッピングになってしまったが通りを歩く事もできた。

だが、観光だけに気を取られている訳でもなく、いつばったりと会ってしまうかという緊張感が常にあり、気を抜けなかった。





「さあ、葵。仁さんとはどうしたいの?」





もう観光は終わった。次に考えるべきは仁とのことだ。世間では仁のしたことは浮気と言うのだろうか。何度もパリに訪れている仁ならば、パリに恋人が居ても不思議ではない。



結婚までの経緯だって、どういう気持ちで葵と見合いをしたのか。それも知らない。葵だって打算して結婚した。父の義孝がクビにならないように、抱えていた借金も負担が軽くなったのは事実だ。御曹司と結婚するのだ、それも頭をよぎったことは否定しない。それと、今回の仁の浮気はどう比較すればいいのか。貞操を守らないことが悪いことで、打算はいいことなのか。



付き合った彼氏に浮気をされたことは多分ない。付き合っているのと、婚姻を結んで夫婦になっていることで比較は出来ないが許すことが最善の道なのだろうか。





「深くお互いを知る前に離れた方が最善の道かもしれないなあ。なんて私が決められる立場にいるのかしら……」





最後となるホテルの部屋から街並みを見る。パリの道はゴミも多く、美意識が高い国だと思っていたので少し残念だった。それでもこうして夜景を見るとやっぱり素敵な街だった。



仁とあのホテルで過せていたらもっと素敵だったろう。もう時間はもどせない、何も無かったことには出来ないのだ。





「予測もしていなかった一人旅になってしまったけど、初めてのパリは楽しかった」





気分はそんなに晴れているとは言えないけれど、パリの街がそれを軽減していた。後は、日本に帰国した時の心の変化だ。飛行機の中でも、仁が帰って来るまでの間もきっとのた打ち回る程苦しみ悩むだろう。

だけど今は、考えたくなかった。葵は、スマホで撮った画像をじっと見つめ、パリ最後の日を目に焼き付けた。
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