Again
電話に出ないと分かっていても、仁はそうすることを止められなかったのだろう。メールも毎日の仕事の報告や葵に対する謝罪とも取れる内容を送ってきていた。



自分の気持ちが仁に向いて来て、好きだと言う熱い気持ちが湧いてきた途端の裏切りだ。傷付いていない訳がない。今も毎日寝るたびに瞼を閉じれば、あの時の光景がはっきりと蘇る。



気怠く髪を掻きあげる女性、葵にはない女の色気が漂っていた。その隣に寝ていた仁もまた、その女性と釣り合い二人の姿が絵になっていた。



葵も27才の立派な大人の女性だったが、漂う色香はそう簡単に身に付くものではない。





「あんなに美人で色っぽいんだから、私に手を出すわけがないか……ほんと馬鹿、私って。でも、何処かで見たことのある顔なんだけどなあ」





葵はもやもやしたものを抱えながらも、疲れた体を起き上がらせ、家の掃除をし始めた。



すっかり夜になっていたけれど、掃除機をかけても、洗濯機をかけても階下に音は響かないらしい。引っ越してきた当初、仁がそう言っていた。



風呂、洗面、キッチンと掃除を始める。冷蔵庫に食材はなく、仕事帰りにスーパーに寄ることにする。



仁は、帰国してすぐに本社に寄ると言っていた。いつも通りに食事の有無をメールしてくるだろう。その時、対処できるように買いだめをしておかなくてはいけない。





「ご飯を気にしているんだから、おかしいよね」





掃除を一通り終えた葵は、リビングでテレビを観ながら、メモを広げ、ビール片手に買い物リストを書き出していた。





「よいしょ、あー重い」





両手にスーパーの袋を下げ、キッチンに乗せる。袋から食材を取出し、冷蔵庫に詰める。





「着替えてこなくちゃ」





部屋に戻り、部屋着に着替えると、帰宅しても一休みすることなく食事の支度を始める。



仁は予想通り、家で食事をするとメールしてきていた。葵はメールを見た時から落ち着くことが出来ず、ずっと緊張していた。



家に着き、仁の帰宅時間が近づくと更に緊張は増し、手の震えが止まらなくなる。





「もう、落ち着け」





深呼吸を何度もする葵だが、一向にほぐれず、いつもならテキパキと手順良く調理が出来るはずが、中途半端に食材に手つけ、キッチンはごちゃごちゃとしてしまっていた。



「痛っ!」



そんな時に包丁で指を切り、血が滴る。でもこれが逆に良かったのか、流水で指を洗い、バンドエイドで止血をすると、心が落ち着き、いつものように食事を完成させることができた。



葵が食べたかったように、仁もきっと家庭の和食が食べたいに違いないと思い、メニューは納豆、ほうれん草のおひたし、銀だらの煮つけ、お新香、味噌汁を用意した。



色々考えても、行動は仁を拒否しているようで、仁と会いたくなくて、急いでキッチンのカウンターで食事を簡単に済ませると、仁の用意した食事にラップをかけ、「おかえりなさい。先に休みます。汚れ物はランドリーに入れて置いてください。」とメモを残す。



お風呂はシャワーを浴びるだけにして、急いで髪を乾かした。歯を磨いて、水を自室に持って行く。





「忙しい。私は悪くないのに、なんか後ろめたい」





全く眠くないのに、部屋から灯りがもれていると都合が悪い。部屋の灯りは消して、ベッドのスタンドだけにする。



読みかけの小説を広げ目で追うが、全く感情移入ができない。



そんな時、ガチャと玄関の開く音がした。葵は反射的にベッドにもぐり、息を潜めた。



懐かしい仁の葵を呼ぶ声が聞こえる。葵はその声に涙がこぼれた。

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