Again
とうとう来て欲しくない日がやってきた。





「本日、午後2時より、名波商事様の会議が行われます。他のご宿泊のお客様もいらっしゃいますが、名波商事さまの担当になった者は、大人数ですが、細かいところまで気配りを忘れることなく、おもてなしをしてください。粗相の無いようにくれぐれも頼みます」

「はい」





支配人の言葉が終わり、早々に朝礼は終了した。



葵は、東京でのキャリアから、担当に名前が挙がっていたが、経歴では、十分なもてなしが出来ないと必死で訴え、ヘルプ要員になるということで、どうにか逃れていた。



昼を少し過ぎた時、





「名波商事様、お着きになりました」





ベルボーイがフロントに足早に知らせにくる。バスと黒塗りのハイヤーで車寄せにどんどん車が入って来た。車列はさながらパレードの様で、圧巻である。バスは、秘書クラス、ハイヤーは重役クラスが乗っている。



荷物の運び出しと、案内で既にフロントはてんてこ舞いだった。コテージ風のホテルは案内するだけで時間がかかる。一棟に4人と他に二人部屋、本館にシングルの部屋がある。



宿泊室に案内を終えると、スタッフは走って持ち場に戻り、また平然とご案内をするといった忙しさだった。





「あーもう、手伝いたいけど、顔を出したくない」





フロントのバックで覗き見をしながら葵はつぶやいた。名波商事から送られて来た予定表では、これから軽い昼食をとって、直ぐに会議だとなっている。フロントバックの壁には、名波商事の宿泊スケジュールが大きく貼られていた。スタッフはそのスケジュールを確認しながら、進行していく。担当ごとに細かく指示が書かれていた。



厨房で葵は、ナフキン、フォーク、スプーンの確認作業をして、ワゴンに乗せる。厨房は、目の回る忙しさで、料理長の激が飛んでいる。



プレシャスホテルでは担当以外の仕事に手を貸すことはめったになかったが、人手が必要最低限のこのホテルで、色々と仕事を覚えていた。





「立花さん!」





女性のスタッフが厨房に駆け込んできた。葵より年下の若い女性スタッフだ。ホテルに就職した理由が、芸能人が来るからという、今どきの動機だ。しかし、葵よりも職場では先輩で、仕事を色々と教わっていた。





「ど、どうした? 何かトラブル?」

「違うの! 今ね、副社長と言う人が、支配人に挨拶をしていたんだけど、めちゃくちゃかっこいいよ! イケメン! 背が高くてね、切れ者って感じのクールっていうの? 滅多に見られない綺麗な顔よ! 半端じゃない! ちょっと見ておいでよ」

「いいわよ、私は」





教えて貰わなくても葵は十分知っている。寝起きやお風呂上りの姿だって知っているのだ。

葵の腕を掴んで振り回し、行こうよと強請る仕草をする。





「その隣にいる秘書さんも副社長よりは劣るけれど、これまたかっこいいの」





そうね、仁さんと、潤さんが並んでいれば、女は寄って来るわね。葵は並んだ二人の姿を想像した。





「さ、イケメンの話は終わり。軽食の準備をして、すぐに会議よ」

「はーい」





浮足立つのは分からないでもない。二人を全く知らずに顔だけを見ていれば、葵も惚れ惚れするだろう。

軽食が終わり、食事が下げられる。それで一安心ではなく、次に会議に必要なミネラルウオーターとおしぼりを用意する。





「用意が出来たわよ。会議の始まる前に配膳をして」





葵は、配膳の指示をだし、次に何をするのかチェックをする。スケジュールに沿って人数を配分していくが、葵の都合のいいようにしている。このまま顔を合わせなければ何とかなる。そんな考えでいた。





「立花さん!」

「今度は何?」





イケメンだと騒いでいたスタッフが、また同じように騒いで戻って来た。





「今度はね、お水を置いたらありがとうって。声も低くて素敵だった~」

「ありがとうくらい言うでしょうよって、会議が始まる前に準備出来なかったの?」

「違うわよ~ 予定よりも早く会議室に入って来られたの。社長さんと秘書さんだけ」

「……あっそう……」





準備しているところに葵が来るかもしれないと、先回りしていた可能性を考えた。葵は、更に緊張する。

葵も仁の声が好きだった。いつだったか掃除をしていて眠ってしまい、背中越しに囁かれた声は、ときめくものだった。思い出を払拭するように頭を軽く振って、フロントに出る。





「私は、名波商事様以外のご宿泊のお客様をお迎えしてくるから、何かご要望があったらお願いね。それと、名波商事様の動きを私に逐一報告してくれる? 特に、イケメン二人。 人員の配分を考えるから」

「分かりました~」





仁の事ばかり気にしてはいられないが、気が緩んだときに遭遇してしまう可能性もある。間延びした返事を返すスタッフに一抹の不安を覚えるが、仁と潤の観察は抜かりなくしそうで、彼女を利用することにした。



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