読書女子は素直になれない
第11話
「あら、五十嵐さんじゃないの、彼氏とお買い物かしら?」
お局ボスこと歩美の顔を見た瞬間、明日の朝一番で翼との件がフロア全体に広まることを覚悟する。口止めや取り繕いが通用する相手ではないことも重々承知できており、内心がっくりとうな垂れた。
「新井さん、こんばんは」
「こんばんは、夕方急いで帰って行ったと思ったらこういうことね。いいわね~、若いって」
(この半分にやけた表情、絶対からかうつもりだ。しかも明日にはこの件に尾ひれをつけて話すに違いない。最悪だ……)
若さのことにも翼のことに対してもコメントが返せず困っていると翼が一歩前へ出る。
「初めまして、千晶さんとお付き合いさせて頂いております。後藤翼と申します。新井さんもお若くて綺麗ですよ。大人の女性って、きっと新井さんのような方を指して言うのでしょうね」
暴走とも言える彼氏発言で千晶は焦り、突然の褒め殺しで歩美は喜色満面だ。
「ちょ、ちょっと後藤君!?」
「え、ちょっと、やだ。彼ったらお上手ね~」
ニコニコする歩美に翼は気さくに話し掛け続け、千晶はその光景をモヤモヤしつつじっと見守る。終始穏やかな会話を交わすと歩美はご機嫌で去って行く。姿が見えなくなると人気のない通路に移動し、千晶は翼を睨みつけながら口を開く。
「ちょっと、彼氏だなんて私、認めてませんけど?」
「いや、だって五十嵐さん、新井さんのこと苦手にしてるでしょ? ここで印象良くしといた方がいいかなって思って」
「な、なんで苦手って?」
「新井さんの目が笑ってたのと、それと同時に五十嵐さんの身体が瞬時に緊張したからそう思ったんだ」
的確な回答を受けて黙っていると翼は真面目な顔をして続ける。
「それに……、こんなこと言いたくはないけど、新井さんの顔を見たときの五十嵐さんは、昔俺がイジメてたときと同じような顔をしてた。戸惑いと緊張が入り混じったような辛い顔、見た瞬間心が痛んだし、守らなきゃって思った」
「そう……、私そんなヒドイ顔してたんだ。やっぱり、イジメられっ子の悲しい習性なのかな」
そう言った千晶の横顔は暗い。翼はその原因が自分にあると察し胸の奥が疼く。
「そんな悲しいこと言わないでほしい。そういう想いにさせたのは他の誰でもない俺自身だから。申し訳なくて、どうしていいか分からないよ」
「…………そうだね、ちょっと当て付けがましかったね。ごめん……」
「いや、悪いのは俺だし謝らないで。さっきの彼氏発言も、場を取り繕うために言っただけだから。勿論、五十嵐さんさえ許してくれるのなら、本気と捉えてもらってもいい」
半ば告白に近い言葉に千晶はどうしていいか分からず一度だけ頷く。その後、アドレス交換はしたものの、会話はほとんどなく駅まで送ってもらいデートを終える。歩美の件も含め終始気を遣ってくれ嬉しかった反面、その相手が翼であり蓮でないことに寂しさも覚えていた。
(付き合う……、後藤君と私が。昔なら考えもしなかった。だけど、今の後藤君はかなり良い人になってて、私には勿体ないくらいだ。鷹取君が私を忘れている以上、後藤君を選ぶのが無難なのかもしれない。意外と話だって合うし……)
帰宅するサラリーマン多い電車に揺られながら千晶は翼のことを考える。しかし、いくら考えてみても頭の中では蓮の顔がちらつき心のモヤモヤは一層濃くなるだけだった――――
――翌日、相変わらず蓮は視線を千晶に送っており、それを意識して気持ちが定まらない。昨夜、翼から褒め殺しされた歩美は分かりやすいくらい機嫌が良く、千晶の彼氏は良くできた人だと公言して憚らない。当然フロア内の噂好き女子にあっという間にこの話は広まっており、隣の席の美優が話し掛けてくる。
「五十嵐さん、彼氏いたのね。てっきり鷹取君を狙っているのかと思ってたわ」
「え、それはその……」
「隠さなくていいのよ。私的にはライバルが減って安心してるし」
「ライバルってそんな」
「五十嵐さんは気づいてないかもしれないけど、鷹取君貴女のことをチラチラ見てから、もしかしたらって気を揉んでいたのよ。でも、彼氏持ちと分かったからには安心。略奪愛に専念できるわ」
オブラートに包まない肉食系女子的発言に千晶は苦笑いするしかない。一方、件のモデルが妹だったことを言えば喜ばせるだけだと判断し沈黙を守った。
終業後、いつものように足早にフロアを出るとエレベーター前で蓮とばったり会う。先回りされていたことに動揺するが、引き返したり階段を使うのも不自然過ぎるので仕方なく並んでエレベーターの到着を待つ。誰もいないエレベーター内に乗り込むと、蓮が直ぐに話し掛ける。
「昨日はごめん。強引に腕を掴んで怖かったよね」
「いえ、もう大丈夫です」
そう言ったきり千晶は沈黙し、蓮は聞き辛そうに切り出してくる。
「彼氏の噂話がフロア内で持ち切りだったけど、あれは本当?」
「あれは、その……」
切り返そうとしたところで着信が流れ千晶は断った上で通話ボタンを押す。
『もしもし、こんばんは、五十嵐さん。そろそろ仕事終わったかなって思って電話したんだけど、大丈夫でしたか?』
「はい、大丈夫です」
『良かった。突然だけどこれから会えないかな? 味のある古本屋があってさ、五十嵐さんも楽しめるかなと思って。いわゆる本屋デートってヤツ』
エレベーター内ということもあり受話器からの会話内容がだだ漏れし、蓮にも本屋デートという単語が耳に入っている。
「ホント唐突ですね。昨日も本屋で……」
言った刹那、昨日も翼と会っていたことが蓮に伝わり、噂の裏付けと取られかねない状況を生んでしまう。
(しまった。今のは失言だ……)
エレベーターが到着すると蓮は黙ったまま降り、足早にその場を去って行く。千晶は追いかけるということも出来ず、心がズキズキと痛むのを感じながら翼との会話を続けていた。