読書女子は素直になれない
第16話

 朝、ベッド内で目を覚ますと隣には蓮がおり昨夜のことが夢でなかったのだと実感する。初めての経験ながら相手が蓮というだけで、安心して身を任すことができ、振り返りちょっと照れくさくなる。気持ちよさそうに眠る蓮を見て千晶の中では幸福感が膨らむ。
(蓮君は私以上に苦労して生きてきてたんだ。でも、このまま雛先輩と結婚すれば逆玉の輿で安定した未来が待ってる。私なんかが入り込む余地なんてない。蓮君の幸せを願うなら黙って身を引くべきなんだ)
 幸せな気持ちのまま、そっとホテルを後にすると早朝の道を歩いて帰宅した――――


――昼過ぎ、体調不良と嘘をつき昼過ぎから出社した千晶を待っていたのは、歩美を筆頭にしたイジメ軍団で中には美優もいる。最初はまた何かされるのかとビクついていたが、全員から謝罪され拍子抜けする。謝られては許さないわけにもいかず、その旨を伝えると皆が安堵の表情を見せた。
 後々聞いた話だと、もし千晶が許さないと言った社員がいた場合、その社員はクビにすると通達されていたらしい。そんな強行な権限が振るえるのは当然ながら創業者一族であり、雛が動いてくれたのだと推測する。ホテルから黙って消えた千晶を心配していた蓮は廊下で少し怒っていたが、終業後大事な話があると言いフロアに戻って行った。

 夕方、桜の花びらが舞う公園で二人は並んで座る。前回は蓮の許婚発言でキレてしまったので、今回は絶対冷静でいようと心に決める。帰宅者が公園を通り過ぎる中、蓮がゆっくりと口を開く。
「昨晩はありがとう。凄く心落ち着く一夜だったよ。寝起きに君がいてくれたら申し分なかったけど」
「ごめんなさい、出社前にいろいろ準備とかあったから。シーツ見ただろうし分かるでしょ?」
「う、うん。まあ……」
 照れながら頭を掻く姿をみてクスりと笑ってしまう。
「で、大事な話って何?」
「ああ、昨夜話して、一夜を共にしてハッキリした。俺には千晶しかいないって」
「蓮君……」
「千晶、俺と結婚してくれ」
 とんでもない発言に千晶は唖然とする。
「一度寝ただけでその判断はどうかと思う」
「いや、千晶といると落ち着くし自分が自分らくしいられるんだ。それに、千晶を幸せできるのは俺だけだと思ってる」
「気持ちは嬉しいけど、雛先輩との件はどうするの? 許婚を反古にしたら、それこそ会社に居られなくなるわ」
「そんなことはどうでもいい。大切なのはお互いの気持ちだ。仕事だってなんでもする。千晶のためなら頑張れる」
 真剣でかつ熱烈なアプローチで攻めてくるが、その勢いに反するかのように千晶の頭の中は冷めてくる。
(蓮君、私と一緒になれて冷静な判断ができてない。涙が出るほど気持ちは嬉しいけど、蓮君の将来を考えたら道は一つしかない)
「ごめんなさい、私は蓮君と結婚までは考えてない。そこまで結婚願望強くないし。悪いけど、諦めてほしい」
「どうしてもダメか? 今すぐじゃなくてもいい。何年後でもいいんだ。俺、本気なんだ」
「ごめんなさい、やっぱり蓮君は雛先輩と結婚するべきだと思う。きっと幸せになれるから」
「俺は千晶と幸せになりたいんだ」
「なら、私は貴方と幸せにならない。諦めてほしい」
「それ、本気で言ってる?」
「私にはもっと相応しい相手がいると思ってる。蓮君は優しいし好きだけど、結婚相手としてはちょっと違うと思ってる」
(本当は蓮君と結婚したいし、幸せなりたい。でも私と一緒になればきっと蓮君は苦労する……)
 はっきりと求婚を否定され蓮もショックを隠し切れない。
「話がこれだけなら私もう行くわ。昨夜は勢いとムードで抱かれたけど、もう会わない方がいいと思う。蓮君には雛先輩という理想的な相手がいるから」
 そう言うと千晶はすっとベンチから立ち上がる。去って行く後ろ姿を蓮は黙って見送っていた――――


 一か月後、事件のこともあり社内でのイジメも影を潜め穏やかな日々が流れていた。イジメを扇動した歩美は自主退職し、隣に座っていた美優も借りてきた猫のように大人しくなっている。一方、蓮との関係は途絶え雛と仲良く交流している姿が見て取れるようになった。雛が会長の孫ということは未だ非公開とされており、千晶自身公言するつもりもない。
 日曜日、翼の携帯電話へ久しぶりに連絡を取ると、喜んで会うと返事が来る。本屋巡りという共通の趣味は楽しく、ストレス解消にもなっていた。今日は翼の運転で県外まで足を伸ばし目星をつけていた古書店を散策する。本に囲まれた空間はとても穏やかになれ、雰囲気のならず匂いも心地良い。
 普段はそう強く感じる本屋巡りではあるが、今日の散策は気もそぞろでどこか集中できない。その原因が蓮との件にあることは理解しているものの、自分で下した判断ということで納得せざるを得ない。
(これでいいんだ。私と蓮君は最初から結ばれない運命だったんだ。どんなに好きでも、相手が困るような、人生を大きく変えるような恋愛はしちゃいけないんだ。蓮君が幸せならそれでいい。私が身を引いて我慢すればいいんだ……)
 本棚に向かったまま微動だにしない千晶の様子に、いつもと違う雰囲気を感じ翼は訝しがった。
 
 本屋巡りを終え帰路の海岸線で海を見ようと提案され、是非もなく頷く。夕焼けの映える砂浜の下、凪で髪をなびかせながら千晶は歩く。砂浜には他の人間はおらず、波の音が耳に心地よく入ってくる。地平線の彼方に映る夕日を眺めていると、翼が目の前にやってきた。
「五十嵐千晶さん、ずっと言おうと思ってました。正式に俺と付き合ってくれませんか?」

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