読書女子は素直になれない
第7話

 「五十嵐、さんか? 久しぶり、高校卒業以来だから六年ぶりか」
 驚いた顔からパッと笑顔になり、嬉しそうに千晶へと歩み寄る。反して、イジメられていた過去を持っているだけに千晶の方は緊張し一歩後退する。
「そうね、それくらいになるわね」
「元気だった?」
「ええ、この通り」
「そうか良かった。ここにいるってことは地元企業に就職したんだね?」
「まあなんとか。後藤君も?」
「ああ、地元だよ。そっか~、やっぱり五十嵐さんも地元だったか」
 そう言うと翼は納得したように頷き、
「良かった」
 と笑顔で千晶を見つめた。
(良かったって何が良いんだろ? まさか、まだ私のこと……)
 高校のときに言われた付き合いたいという言葉が甦り、千晶の緊張感を高める。どう切り返すべきか思案していると翼の方から話を切り出す。
「ねえ五十嵐さん、突然でなんだけどこれから時間ある? 良かったら晩ご飯でもどうかなって思って」
(これって、絶対好意があっての上での誘いよね。流石にこれは受けてはダメだ)
「ごめんなさい。もうご飯済ませたから」
「じゃあ、日にちを変えてどう?」
「ごめんなさい、急いでるから」
 強引な誘いを振り切るかのように足早に店を出ると、目の前の歩道でサラリーマンとぶつかりそうになってしまう。
「あ、ごめんなさい!」
「ああ、大丈夫、大丈夫……、あっ、五十嵐さん」
(えっ、この声!)
 よく見るとその背の高い男性は蓮で、隣には美優を従えている。その光景を見て千晶は状況を瞬時に察する。
(早くもカップル成立か。可笑しいったらありゃしないわ。約束に拘ってた自分が惨めすぎる)
「私、お邪魔ですね。失礼します」
 頭を下げると相手も見ずにさっと駆け出す。背後で聞こえた蓮の声が気になるがそれも振り切って走る。人混み多い街路樹を縫うように駆け、その姿に通り行く人が振り向く。駅の改札まで一気に来ると、うなだれたまま呼吸を調える。こんなにも真剣に走ったのは高校生以来となり、肩で息をし唇を噛みしめながら目にうつる白いタイルをじっと見つめていた。

 翌日、出勤しフロアに入るなり女子社員の噂話が耳に飛び込んでくる。要約すると美優が宴会の席で無理矢理蓮を連れ出し、狙っていたライバル達が妬んでいるようだ。美優を妬むまではいかないが、ずっと想っていた蓮を有言実行であっさり取られあまりいい気はしない。デスクに向かうと美優は涼しい顔で座っており、周りの雑音も意に介していないようだ。動揺を悟られぬよう普段通り冷静に挨拶を交わし着席すると美優の方から口を開く。
「ねえ、五十嵐さん。いきなりでなんだけど、愚痴聞いて貰えるかしら?」
 ライバルからの問いで一瞬考えるが仕方なく頷く。
「ありがとう、ほかでもない彼……、鷹取君のことなんだけど。彼女いるんだって。普通に振られたわ」
「えっ、そうなの?」
「まあ、あの器量なら居て当然とは思ったけどショックでね。でも、諦めたわけじゃないのよ。彼女が居たって構わない。どんな相手だろうと彼を奪ってみせるわ。だって、彼は運命の男なんだから」
 半ばストーカーに近い理論を聞きゾッとするも、反面そこまで思える心の強さは称賛に値すると感じる。美優の意見に戸惑いながらも蓮の新しい彼女がどんな相手かも気になってしまう。
(付き合った期間短いし鷹取君のタイプとかよく分からないけど、やっぱり美人がいいはず。でも、中村さんを蹴ってまで付き合いを優先させる彼女って一体どんな……)
 疑問を抱きながら美優の話を聞いていると件の蓮がフロアに現れ女子社員が浮かれる。その中の一人が近づき二、三言葉を交わすと肩を落とし離れて行く。始業前ということもありその詳細は不明だが、女子社員の様子から美優のような断られ方をしたのであろうと推測する。気を揉みながら蓮を眺めていると、お局リーダーの歩美から呼出しを受け廊下へと赴く。
「ちょっと、五十嵐さん。この前のお昼、貴女がサボったせいで私が貴女の分をフォローするハメになったんだけど、一言のお礼すらないってどういうことかしら?」
(この前の昼……、中村さんを助けた日か)
「すみません、あの日はご存知の通り中村さんの救護をしてまして……」
「言い訳しない! 救護だろうとなんだろうと私に迷惑を掛けたのは事実でしょ!? この落とし前、どう取ってくれるの?」
 理不尽とも取れる歩美の問い掛けに、千晶は俯き黙ってしまう。小学生のときに受けたイジメのトラウマから、責められると身体が硬直し押し黙ってしまう。
「黙ってないでなんとか言いなさいよ」
 廊下の角で声を張り上げる歩美を、フロアの同僚たちはニヤニヤしながら見つめており、千晶もその視線には気がついている。
(いつの時代も傍観者はいい気なものだ。昔を思い出しちゃうな……)
 クラスメイト全員から無視された記憶が甦り、心の温かみが収縮して行くと感じた刹那、歩美の背後から声が掛けられる。
「新井さん、どうかしましたか?」
「誰!? 今、忙しい……、た、鷹取君? どうかしたの?」
 お局と言えど蓮のイケメンオーラにはやっぱり弱く、瞬時に女に変身する。
「いえ、何かトラブルでもと心配になって来てみたんです」
「大したことないわ。五十嵐さんが先週サボったことを忘れてたようだから、注意してただけ」
「先週、もしかして、中村さんの事故のときの話ですか?」
「ええ、良く知ってるわね」
「その事故の救護したの僕なんですよ」
 穏やかな表情の蓮を見ていると冷めた心が温かくなっていく。
「帰ろうとしていた五十嵐さんを強引に引き止めたの僕でして、もしそれで新井さんにご迷惑をおかけしたとしたならば、僕が謝りますし埋め合わせしますよ」
「ご迷惑だなんてそんな、大したことないわ。ただ、礼儀はちゃんとして欲しいって彼女に言ってただけで……」
「礼儀ですか、流石は新井さん、常識を弁えていらっしゃる。ではお詫びと言ってはなんですが、今日のランチ、ご一緒しませんか? 二人っきりで、いろいろお話したいですし」
 笑顔でかつ半ば口説くような蓮の台詞に、歩美は顔を赤くし何度も頷く。そのまま話ながら二人は廊下を後にし、残された千晶はわざわざ助けにきてくれた蓮に小学校時代の面影を重ねていた。

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