夜と紅と蒼と……
「ひとつだけ、残ってるもの、ありました」
しばらくの抱擁の後、体を離して蒼太は微笑んだ。
「え?」
「僕の名前。母がつけてくれたんです」
そう言って、夜空を指差す。
「空の蒼」
柔らかく微笑むその表情は、もう、いつもの蒼太だ。
その顔を見て、紅葉も満たされたような気持ちになった。
「少し、冷えてきましたね」
「そだね」
六月といえど、山間の夜の風は、まだ肌寒いものがある。
「部屋に戻りましょうか」
「うん」
二人は立ち上がり、縁側を後にした。
部屋へ戻ると、熊蔵が風呂からあがったところで、紅葉にも入るよう勧めてくれた。
有り難くその言葉に甘え、入浴をすませる。居間へ戻ると、蒼太がひとり、本を読みながら待っていた。
「客間を使っていいそうです。緑が用意してくれてるみたいです」
「熊蔵さんは?」
「明日は朝から村の会合にいくとかで、もう休みました」
「そっか。お礼言いそびれちゃったな」
「明日でいいですよ」
そう言って、読んでいた本を閉じると蒼太は立ち上がり、紅葉を客間へ案内する。