夜と紅と蒼と……
向かい側に座り、こちらをじっと見つめる眼差しのぬくもりが、紅葉の胸の奥に、小さな波紋をおとす。
「紅葉さん、本当の痛みなんてのは意外と自分でもわからなかったりするものですよ」
静かに諭すように語るその声はあくまで穏やかだ。
「でも、痛みを抱えた人間は他の人の痛みに敏感なものです。蒼太もきっとあなたに何か感じるところがあったのでしょう……」
胸の奥の波紋はどんどん広がる。紅葉は何かが胸にこみあげてくるのを感じた。
『ああ、この人は確かに蒼太の父親だ』
心の底からそう思う――
「蒼太を好きですか?」
突然の問いかけに紅葉はドキリとした。
蒼太の父親に、そんなことを聞かれるとは思いもしなかった。
「とても、いい人間だと思う。一緒にいたいって……」
「それは、良かった」
今の紅葉が言える精一杯の言葉を聞き、熊蔵が嬉しそうな顔になる。
「あの子と一緒にいてあげて下さい。あの子にはあなたが必要だ」
「必要? あたしが?」
「ええ、そうです。あなたが必要です。そんな気がします」
熊蔵はそう言ってにっこりと笑った。
その言葉の意味は、いまいちよくは分からなかったのだが……
けれど、そんな熊蔵の表情が見れたのは何故かとても嬉しい気がして、自然と紅葉の表情も緩む。
「さてさて、もうそろそろ風呂から上がってくる頃でしょう……夕げの支度でもしますかね」
熊蔵はのんびりそう言い、立ち上がった。
確かに、随分お腹も減っている。
自分のお腹がぐるぐると小さく悲鳴を上げているのに気付き、紅葉も慌てて立ち上がり、キッチンへ向かう熊蔵の後を追った。