コンテニュー
 それは長い長い夜だった。

これまでの17年を振り返るには余りある時間だった。

最初に浮かぶのは母親だった。泣きじゃくる俺を懸命に庇い、親父の暴力に耐える姿。眠る時はいつもごめんね、と泣きながら謝り、寝付くまで片時も傍を離れようとしなかった姿。
結局は重度の鬱と診断され、処方された睡眠薬とアルコールで壊れてしまい、今は寝たきりの生活だが、それでも俺は母親が大好きだった。

俺が成人したら真っ先に弁護士を立てて、親父と離婚を成立させ、俺がお母さんを支えてやると心に決めていたが、それはもう叶いそうにない。

親父から解放できただけでも良しとしよう。

考えないようにしていたが唐突に志保の顔が浮かぶ。

あれをファーストキスと言っていいのかは分からないが、小学校四年の頃。
遠足で乗ったバスで隣通しになり、志保を意識するあまり禄に話もできなかった俺に、たくさん話題を振ってくれて、おかげで楽しい時間を過ごせた。

急に、窓の外に面白いものがあるよ!という無邪気な声に、通路側に座っていた俺は窓に近づくために移動する。

どれだよ? と聞いて、志保が指をさした後方を見る。お互いの距離が自然と近くなり、頬が触れ合いそうになる。

志保が急にカーテンで人目を遮り、その瞬間唇にやわらかい感触が走った。

驚いて目を見開き、固まった俺に志保は小さく、
「好きだよ?」と囁いた。

顔を真っ赤にして俺を見る瞳にどうしていいか分からず、恥ずかしくなって席に座り黙り込んでしまった。

お互い会話が出来ないまま、バスは帰途に就いた。

いつの間にか眠っていたが、隣で座る志保が眠りながらも握っていてくれた左手の感触は今でも覚えている。

俺の人生で唯一甘酸っぱい想い出だった。
一つくらいはこういう想い出があっても罰は当たらないだろう。

それも親父が台無しにしてしまったが。

一度は児童相談所が動いてくれて、隔離されたこともあった。

だが、その結果母親が身代りになり壊れてしまった。

こいつさえいなければ、と何度考えただろう。
毎日顔色を伺い、酒を飲むと脈絡もなく暴れ出す。
仕事もコロコロと変え、挙句にギャンブルで自己破産。
それを俺のせいだ、お前が産まれてこなければ、と執拗になじり、そして殴られる。

俺の体格が親父を越えたころに、暴力はには対抗できるようになり、一方的に殴られることはなくなったが、それが気に食わない親父は、意味もなく学校に怒鳴り込み、俺はその度に周りから友達がいなくなって行く事を痛感した。

「お前はいつまでも俺の所有物なんだよ」と、ニタニタしながら言い放った親父の顔は、煙草を押し付けてきたあの頃と少しも変っていなかった。

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