理想の結婚
第12話
喫茶店からすぐそばにある緑道のベンチに腰かけると、目の前にさっとペットボトルの水が差し出される。礼を言い、一口飲むと溜息をつく。隣に座る一輝は何も言わずただ側にいる。その沈黙が優しさからきていることを悟り、理紗の目からは再び涙が溢れる。
(ヒドイ嘘までついて振った私のために、なんでここまで優しくできるんだろう。本当にいい男の子になったんだ、一輝君……)
嘉也との差がありすぎて理紗は余計に気持ちが落ち込む。
(それにしても、あの男、絶対許せない。八年前のことも今回のことも。自分の欲望を満たすことに、周りの人間を傷つけることを全くいとわない最低の人間だ)
嘉也の顔とセリフが脳裏によぎると怒りが再燃する。
(問題はこれからどうするかだ。アイツの目的はただ一つ、私の身体だ。私が折れたら丸く収まる可能性もあるけど、アイツの性格からして最悪私の全てを奪うことも考えられる。まずすべきことは事実の把握かな。借金と結婚の話が本当なら、そこからまた対策を考えよう。まだ諦めるには早い!)
考え込んでいる理紗にしびれを切らしたのか一輝が話し掛けてくる。
「理紗姉、いつまで地元にいる?」
「お盆の日程? それなら明日には神奈川に帰ろうと思ってたけど、ちょっと長引くかも。これからの展開しだいとしか言えない」
「そっか、じゃあそれが落ち着くまで俺もこっちにいるよ」
「えっ?」
「なに? その、えっ?って。俺が居ちゃまずい?」
「まずくはないけど……」
「けど?」
「いや、別に、いいよ」
「あっそ」
不機嫌なのか単に無愛想なのか、一輝は座ったまま目の前の木をじっと見ている。
(相変わらず考えの読めない男だな。私を好きなら口説いてくればいいのに、そうもしないし。かと思ったら助けてくれて気遣ってくれるし。意味がわからない。あ、そう言えば)
「ねえ、一輝君。なんで駅裏にいたの? まさか偶然じゃないわよね?」
「偶然だけど?」
「またまた~、タイミングよすぎるもん。実は尾行してたんじゃんない?」
「してない。たまたま駅で見かけて、バレずに着いて行ってただけ」
「それを尾行って言うの! なにシレっと嘘ついてんだか、全くもう……」
「でも、それで助かったでしょ?」
(うっ、確かに……)
「で、でも、尾行なんてダメよ。相手に失礼でしょ? もうしちゃダメ!」
「分かった、もうしない」
「宜しい」
しおらしく小学生の時と同様、素直に言うことを聞く姿に理紗は微笑ましくなる。
(大きくなっても私のことを敬ってくれている証拠ね。なんかちょっと嬉しいわ)
ニコニコしていると一輝が口を開く。
「あのさ、人の顔を忘れたり約束を一方的に反古にする人って、もっと失礼だと思わない?」
(前言撤回。コイツやっぱムカつくわ!)
「それはどうも失礼致しました! これでいいですか!?」
「半ギレで謝られても微妙なんだけど。ま、いっか、理紗姉がちょっと元気になったし」
ふいに笑顔も向けられドキッとする。
「何があった聞かないけど、元気のない理紗姉は見たくないし、少なくとも俺はずっと理紗姉の味方だよ」
(一輝君、私のために冗談を。しかも、ずっと味方だなんて。そうだ、一輝君だけはずっと私の味方で守ってくれてた。今も昔も……)
嘉也との件をつい話したくなる衝動にかられるが思いとどまる。
(ダメだ。一輝君とは無関係だし巻き込みたくない。知ったら一輝君、キレてアイツに何するかわからないし。手を握っただけで蹴り飛ばすくらいだし。でも、この世で私の味方が確実に一人いるって思えるだけで心強いし嬉しいわ)
「ありがとう、何かあったら相談するわ」
理紗の言葉に一輝は無言で頷く。木陰から覗く心地よい風が一輝の方から吹き、その優しさ溢れる雰囲気に理紗は心底癒されていた。