理想の結婚
第15話

 一輝と千歳と別れ克典と共に帰宅すると、自宅前には見た事のある車が停車していた。嫌な予感がしつつ玄関に向うとちょうど、自宅から嘉也が出て来る。
「よう、理紗ちゃんにノリ。揃ってお帰りか」
「嘉也さん、来てたんですね。こんばんは」
 普通に挨拶する克典とは対照的に理紗は無言で睨みつける。
「理紗ちゃん怖いな。ま、それもいつまで持つかな? じゃあまたな」
 意味深な言葉を残し去って行く嘉也を無視して、理紗は急いで居間へと走る。居間には篤志と奈津美が揃って座り、怖い顔をしている。
「お父さん! なにかあったんでしょ? 話して!」
 血相を変えて篤志に詰め寄る理紗を見て、克典も差し迫った事態が起こっているのだと推察する。
「嘉也のヤツ、とうとう訴えたと言ってきたんだ。理紗と婚約できれば訴状を取り下げるとも」
「最低だ、あの男」
「姉ちゃんが婚約って? どういうこと?」
 事情の知らない克典に過去のことも含め嘉也の言動を伝えると予想以上に憤慨する。
「許せねえ。小学生のときカズが死にそうになったのアイツの仕業かよ。そして、今度は姉ちゃんまで。俺アイツの家に乗り込んで行くわ」
「やめて! そんなのアイツの思う壺だわ。婚約。私、婚約くらいならしてもいい」
「姉ちゃん!」
「婚約したからって結婚するわけじゃないし、その間に何か対策を考えてくれればいい。今は訴状の件をどうにかしないと」
「ダメだ! それこそアイツの思い通りじゃないか。婚約したらアイツ絶対姉ちゃん襲ってくるって。何かあっても婚約者だからと言い逃れしそうだし」
(たぶんそうなる可能性は高い。でも、現状これしか手が……)
「理紗、今銀行と融資の交渉してる真っ最中でな。明日その答えが出る手はずなんだ。それまでは何もしないで待っててくれ。お父さんがなんとかしてみるから」
「……分かった。お父さんを信じて待ってるよ」
 重苦しい家族会議を終えると自室に戻り理紗はベッドで横になる。
(銀行か。貸し渋りが通例になってる今の景気じゃ厳しいだろうな……)
 携帯電話を見るとメールの着信があり、開くと一輝から温かい言葉の羅列が見られる。その優しさと迫り来る恐怖心で涙が溢れ、理紗は声を殺して泣いていた。

 翌日、お昼過ぎに帰ってきた篤志の顔色で報告を受けるまでもなく事態を悟る。ほどなくして、銀行との件を知っていた嘉也はニヤニヤした顔で内海家に現れる。予め庭で待ち受けていた理紗は一人で嘉也と向き会う。存在に気づいた克典も前面に出ようとするが理紗に制止され、縁側からじっと我慢して見守っていた。
「こんにちは、理紗ちゃん。銀行の件、残念だったね」
「はい。でももういいんです。昨日の段階で婚約のお話はお受けしようと思ってましたから」
「えっ、マジで?」
「はい、私じゃ不満ですか?」
「いや、不満じゃないよ。ちょっとビックリした。昨夜も俺のこと睨んでたからさ」
「訴訟まで起こされたら流石に諦めつきますよ」
 苦笑いする理紗を見て嘉也は厳しい顔をする。
「あのさ、何か企んでない? 俺を殺すとか」
「かもしれませんね。私が怖いのなら婚約止めときます?」
「上手いこと挑発するな~、分かった。ちょっと考えさせてよ。俺の方もいろいろ準備あるし」
「わかりました。婚約が決まったら神奈川の会社に辞表を出しに行くので、早めにお願いします」
「了解。話が上手すぎるから慎重には進めるけどね。まあ約束通りにすれば悪くはしないさ。借金の件は結納金代わりと思ってくれりゃいいし。じゃあまた連絡する。お父さんお母さんにも宜しくな」
 真剣な表情で帰って行く嘉也を見送ると居間に戻る。篤志と奈津美はただ謝るばかりで話にならず、いつもは冷静な克典も殺意でいきり立っている。
(ダメだ。万策尽きた。結局私が我慢すれば丸く収まる話だった。もうどうにでもなれだ……)
 怒り心頭の克典をなだめ聞かせ、両親にも大丈夫だと説得する。夕方になると嘉也から早くも連絡があり、明日婚姻届を持って行くと告げられた。事がめまぐるしく動き現実味がないと思いつつも、ただ流されるように受け答えする。夕飯と入浴を済ませ自室のベッドで呆然としていると、携帯電話の着信音が鳴り響く。ディスプレイには公衆電話と表示されており、訝しがりながら通話ボタンを押す。
「もしもし……」
「もしもし、俺、一輝なんだけど」
(一輝、君……)
 一輝の声を聞いただけで嬉しさと安心感から声を出して泣いてしまう。当然一輝は事態が飲み込めず戸惑ってしまう。泣いていては話にならず、泣きやむまで一輝は大人しく待ち、落ち着いた声色を聞いてから切り出す。
「理紗姉どうした? 何かあったの?」
「ごめんなさい。突然泣いちゃって」
「いいよ。で、何があった?」
(言えない。明日アイツと婚約するなんて……)
「ごめん、言いたくない」
「分かった。無理には聞かないよ」
(一輝君やっぱり優しい。本当は言いたい、全て言って相談に乗ってほしい……)
「一輝君こそどうしたの? 公衆電話からなんて」
「ああ、ちょっとね。こんな夜更けに悪いんだけど、ちょっと会えないかな?」
「え、今から?」
 壁の時計を見ると十時半を差している。
「今日じゃなきゃダメなの?」
「うん、今日じゃないとダメ」
「分かった。じゃあ前に会った公園に今から行くわ」
「ありがとう、待ってる」
 通話が切れるとパジャマを脱ぎ私服に着替え始める。
(こうやって何の障害もなく一輝君と会えるのは最後なのかもしれない。私の気持ちを伝えられる最後のチャンス……)
 これからの展開を空想し理紗は胸の高まりを抑えられずにいた。

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