理想の結婚
第16話
公園に到着すると一番奥のベンチに一輝が座っている。
「お待たせ。また同じところに居たね」
「うん、ここだと人目につかないから」
笑顔の一輝を見て理紗も笑顔になる。隣に座ると一輝はすぐに話を切り出す。
「大事な話があるんだ」
(一輝君から大事な話。なんだろ、まさかプロポーズじゃ)
期待と不安に満ちた表情で耳を傾けていると、信じられない言葉が発せられる。
「俺、チセと付き合うことにした」
一輝の言葉で理紗の中で支えになっていた支柱が確実に崩壊する。
「ずっと理紗姉のことを好き好き言っておいて、黙ってチセと付き合うのは失礼だと思って、ちゃんと言うことにしたんだ」
「そう、良かったわね」
「うん」
「話はそれだけ?」
「うん」
「そう、私からも大事な話がある。私、嘉也さんと結婚するの。明日には婚姻届けも出す。お互いちょうど良かったわね」
「そうなんだ」
「私、子供の頃から嘉也さんのこと好きだったし、最近ちょっとした行き違いで喧嘩してたけど、仲直りしたし。そういう訳で会社も辞めて気ままな専業主婦になるわ」
「そっか。おめでとう」
「ありがとう、じゃあ、私、明日忙しいからもう行くわね。おやすみ、一輝君」
さっと立ち上がると一輝の返事も聞かず理紗は早歩きで公園を後にする。
(バッカみたい。なにがプロポーズよ。なにが気持ちを伝える最後のチャンスよ。チャンスなんて最初からなかった。浮かれて好きになって振られるなんて同じ事の繰り返しじゃない。ホント、救いようのないバカだ私……)
「ホント、バカだ。心のどこかで一輝君が助けてくれる。相談したら私を連れてどこか遠いところに逃げてくれるなんて考えてた。そんなドラマみたいなことなんてないのに。現実はいつも残酷だって分かってたのに」
道路の脇で立ち尽くしたまま独り言を呟く。公園の方角を振り向いてみるも一輝の姿はない。
「ありがとう、そして、ごめんなさい。私、本当は貴方ことが好きでした。面と向って言えなかったけど、この想いとともに生きていきます。さようなら、一輝君……」
溢れる涙を拭くこともせず、理紗は頼りない足取りで帰路に着いた。
翌日、昼過ぎになり内海家に嘉也が現れる。背後には黒いスーツを着た体格の良い男を三人引き連れている。居間に入ってくるなり嘉也は嬉しそうな顔をし理紗に近づく。反対に両親と克典は厳しい顔つきで鋭い視線を向けている。
「こんにちは、愛しの理紗ちゃん。入籍の覚悟は決まってるかい?」
「ええ、昨日言ったように変わりありません。ところで後ろの方々は?」
「ボディーガードだよ。いつぞやの狂犬がまた来ると困るからね」
「それはないですね。一輝君は千歳ちゃんと恋仲ですし」
「えっ、そうなのか? そりゃ初耳だ。千歳のヤツなかなかやるな~」
「はい、そういうことですので、ご安心下さい。それより婚姻届の方は?」
「ここにあるよ。後は理紗ちゃんが記名捺印すればいいだけ」
そういうと嘉也は婚姻届を差し出す。届けを受け取ると、テーブルに持って行き名前を記入し判子を押す。
用紙全体に目を通し確認すると嘉也に手渡す。
「うん、いいね。これで今日から理紗ちゃんと俺は夫婦だ。さっそく俺に家に住むんだ、いいね?」
「わかりました。ふつつか者ですが宜しくお願いします」
頭を下げる理紗を見て嘉也は嬉しそうな顔をする。
「婚姻届を今から提出して受理されたら約束通り提訴は取り下げるし、借金もちゃらにするよ。なんと言っても俺と理紗は家族になるんだからな」
「はい、ありがとうございます」
「怖いくらい従順だな。もっと抵抗してくれた方が好みだったんだけどな」
「お望みなら今か抵抗しましょうか? 飛び蹴りとかして」
「いいよ。飛び蹴りはアイツに喰らって身に染みてるからな」
二人の様子を家に残される三人は悔しそうな顔で見ている。
「なんかお義父さん達、凄い顔してるね。娘の門出だというのに」
「複雑なんですよ。いろいろ」
「あっそ、まあどうでもいいことなんだけど。お義父さん達、安心して下さいね。理紗は俺が幸せにするんで」
嘉也の挑発的な言葉に克典は立ち上がろうとするが、奈津美に制止されてる。
「嘉也さん、そろそろ家にいきませんか? 婚姻届も提出しないといけませんし」
「ああ、そうだね。でも、その前に。オイ、頼む」
嘉也の命令で背後の男たちが理紗に迫る。
「えっ、なにするんですか?」
「安心しろ。単なるボディチェックだ。刃物とか持ってると嫌だからな。下着の下は家に着いたら俺が直々にチェックしてやるよ」
簡単なボディチェックが終わると、安心したのか嘉也が理紗の腕を掴む。
「今回は悲鳴を上げないんだな」
「ええ、もう夫婦ですから」
「夫婦か、いい響きだな。早く家に帰ろう。十年も我慢したんだ。しっかり理紗を堪能したい」
理紗の腕を掴んだまま玄関に向かって行く姿を、残された三人は我慢して見送る。嘉也が来ても一切手を出さないこと、反論しないことを理紗から強く戒められており、その言葉を忠実に守っていた。
(私が我慢すれば全て丸く収まる。家も病院も守れる。一輝君とも縁は切れた。元々彼とは思い描く理想の結婚はできない。私の人生なんてもうどうなっても構わない……)
諦めた切った面持ちで引っ張られるように玄関を出ると目の前の嘉也が突然立ち止る。疑問を抱き視線の先を見るとそこには一輝が立ちふさがっていた。