アプリーレ京町、へようこそ
「じゃあ、はいこれ。安田くんの部屋の鍵」
管理人さんから渡された鍵には『302』の数字。
「何かあったら俺のところに来て。あ、でもなるべくなら夕方とかのほうがいるかな」
「あ、仕事...ですよね」
早川さんは不思議そうに目をパチクリさせた。
「ん?...ああ、クロちゃんから聞いたのか」
俺の隣でココアを飲む黒沢さんをちらりと見て納得したように頷く。

俺たちは、早川さんの好意で部屋に上がらせてもらっていた。簡単な部屋の説明なんかを聞いた後、早川さんがココアを入れてくれた。帰ると言っていた黒沢さんも、早川さんに言いくるめられて今はしぶしぶと俺の隣に座ってココアを飲んでいる。
「だから、それで呼ぶなっつうの」
やっぱり黒沢さんは不機嫌だ。
「仕事...って、何されてるんですか?」
そう興味本意で尋ねると、早川さんは何故か意味深ににやりと笑った。
「訊きたい?」
「え...」
隣を見ると、これまた何故か黒沢さんも面白そうに微笑んでいる。
「俺の仕事はね、」
そう言って一口ココアを飲む。

「ホスト、だよ」

ほす...?
「え、あ、あのええっ」
「くくっ、こいつ面白ぇ」
黒沢さんが俺を見ておかしそうに言った。
「だ、だって、ホ、ホストって」
「そ、ホスト」
早川さんはにっこり微笑んだ。
(ホストとか、本当にいるんだ...)
いやいるってことは分かってるんだけどね。現実味がないというか、本物に会ったこともないし、そういう店に行ったこともないわけで。ドラマとかの世界だって思ってた。
(...わりと、普通だなあ)
現に、目の前でニコニコしてる早川さんは別に普通の人と何ら変わりがない。
「驚いた?」
「は、...い」
だって管理人さんがまさかのホストなんて思ってもなかったし。
(だから、夜の仕事なのか)
早川さんはソファーの背に肘を立てて頬杖をつき、俺をじっと見た。
「うん、安田くんならいけそうかも」
「?何がですか?」
「ホストになれそうだなぁ~って」
「ぶ!!」
俺はむせた。
早川さんはまたにっこりし、黒沢さんは呆れたようにため息をつく。
「な、な、な何言ってるんですか早川さん!」
「んー、安田くん可愛いから。女の子たちにモテそう」
「ないです!ないない!」
スーツとか絶対俺似合わないから!
「そうかなぁ~。指名来ると思うけどなぁ~」
「し、指名」
アレか?『〇〇さんご指名入りまーす!』ってヤツか?ほ、本当に業界用語って感じだな...。
「クロちゃんとかいいと思わない?」
早川さんがふふっと首を傾げた。俺もこくこくっと頷く。
「はあ?」
当の本人は呆れたように俺たちを見た。
「えーだってクロちゃんイケメンだし。もう結構前から誘ってるんだけどねえ」
「バーカ」
黒沢さんはどさっとソファーに倒れこむ。
「俺はわりと本気だよ?」
早川さんが立ち上がって黒沢さんの空のマグカップを取り上げる。黒沢さんは楽しそうにキッチンに戻るその姿を不機嫌に睨み付けた。
俺はその空気に慣れずにどぎまぎしてしまう。そんな俺を見て早川さんがくすりと声を漏らした。
「ほらほら、クロちゃんが怖い顔してるから安田くんびびってるじゃん」
「...」
お願いだからその顔で俺を見ないで!イケメンが凄むと怖いわ!
黒沢さんは後退りした俺を見て、はあ、と息を吐いた。
「どうする。もう帰るか」
「あ」
時間の感覚を忘れていた。白い壁に掛かる時計の針は、もう7時を過ぎていた。
「そうします。俺も部屋早く見たいです」
「えー、もう帰っちゃうの?」
早川さんがぷーっと膨れる。それが小さい子どもみたいで俺はちょっと笑ってしまう。
「せっかく俺今日休みなのにー。なんなら安田くんだけでも泊まってよー」
悲しそうに腕を伸ばしてくる早川さんの頭を黒沢さんはべしっとはたいた。
「おまえに預けたら何するかわかんねえからな」
「ひどい!」
「ホントのことだろうが」
「何、クロちゃんてば安田くんの保護者気取りなの」
え、そんな顔でこっちを見られても。
「違えよ。ただおまえからコイツを引き離してるだけだ。このアパートに変態が増えちゃあ困るからな」
「ちょっ!変態って!俺は健全ノーマルですう!」
「黙れ」
わあああと泣き顔をする早川さんと、それを面倒くさそうに押しやる黒沢さんはもはやどっちが年上か分からない。
(さっきからこの構図何回も見てるけど、この2人てホントは仲いいんだろうなあ...)
ケンカするほど仲が良いってやつなのか。...ちょっと羨ましいような。
「安田、てめえ何にやにやしてんだよ。ったく、さっさと帰るぞ」
「えっ?!あ、ハイ!」
不機嫌MAXな黒沢さんに引っ張られ、俺は名残惜しそうにバイバイしてくる早川さん家を後にしたのだった。
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