ベストフレンド
第1話

(人を愛することについてどれだけ深く考えたことがあるだろうか。人を愛するということは本当のところ、どういう行為なのだろうか。愛という漢字を見ると真ん中に心があり恋は下心だなんて説明は、言葉遊びでお笑いぐさだと思う。恋だって真剣な想いならばド真ん中に心が入ってる。私は愛や恋を考えるとき、いつも一人の女性を思い浮かべる。彼女は私の親友であり戦友であり、どこか母親のようでもあった。私は彼女以上に人を愛した人を知らない)
 夕暮れを背に受けながら墓石の前で佇む。様々な出来事を笑って泣いて二人で乗り越え語り合ってきた過去。願った夢に向かってひたむきに努力した。大切な人と出会い、大切な人を愛し、それを失う悲しみも共に分かち合ってきた。自身の思い描いた夢には届かなかったけれど、彼女を笑顔で送れたことが今の自分の全てだと思う――――


――十年前、センター試験を直前に控えた受験生を尻目に放課後の図書室で柳葉司(やなぎばつかさ)は読書に耽る。背表紙には『解説日本書紀』というタイトルが見て取れる。高校生ともなると図書室も真面目な生徒ばかりが集まり、小学生のようにはしゃいだり大声を上げたりする者もいない。
 普段図書室には赴かない司だが、悩み事や考え事が発生すると自然と足が向く。静か過ぎず煩さ過ぎないこの環境が司の性に合っていた。図書室内でも一番奥の隅っこの机で本を眺める。取り立てて日本書紀に興味があるわけでもないが、図書室で本も持たず呆然とするような間抜けなことも出来ない。
 同じページを開いたまま考え事をしていると、正面に女子生徒が座る。クラスメイトであり大親友の若宮愛美(わかみやまなみ)だ。長いポニーテールがトレードマークで、喜怒哀楽がはっきりしており、持ち前の明るさもあり男女問わず人気がある。
 一方、司は運動神経は全くないものの成績優秀で通っている。愛美とは高校からの仲だが、とあるきっかけで姉妹の如く仲が良い。椅子に腰掛けると愛美は周りに迷惑が掛からない程度の声で司に話し掛けてくる。
「黙って居なくなるなんて水臭いよ。まあ、ここだとは思ってたけど」
「うん、まあね……」
 どこかぎこちない返事から愛美はピンとくる。
「もしかしてまだ祐輔とのこと気にしてる? 何度も言ってるけど私に彼氏が出来たからって気を遣わなくいいんだよ?」
「うん、でもそう言われてもそこは、ねっ」
 司は苦笑いで目を伏せる。夏休みあけ、同クラスメイトで学級委員長でもある雪村祐輔(ゆきむらゆうすけ)と愛美は正式に付き合うことになった。司も含め三人は仲が良くプライベートでも絡むくらいだったが、愛美のディープキス事件から関係は微妙な距離感が生まれる。以降、二人の邪魔にならないようにと司は距離を取るが、愛美は今まで通り司にべったりしており、祐輔に対して少し申し訳ない気持ちを持っていた。
「ところで今日は何に悩んでるの? バツが日本書紀ってありえないし」
「まあね」
「言って、親友でしょ?」
 二人の間に隠し事は無く、公私どんなことでも話すことが互いのルールとなっていた。
「うん、実は大学進学を止めてキャバ嬢になろうと思ってる」
「へっ?」
 愛美の変な声に、周りの生徒が二人に視線を送る。
「あっ、ごめん。本気、だよね。バツって冗談言わないし」
「うん」
「なんで? お母さんが大学進学についても心配するなって言ってたでしょ? 気を遣ってるんならやめてよ?」
「うん、分かってる。でも私、早く自立してお金が欲しい。大学行ってもお金にならない。自分自身の人生設計を考えた場合、大学は時間の無駄という判断。早く恩返ししたいし」
「バツらしいね。まあ、頭キレるし私と違って美人だし、キャバでも天下取れると思うけど、随分と思い切ったね」
「帰る居場所を作ってくれたマナには感謝してる。勿論、お母さんにもお父さんにも。でも、私は自立したくて頑張って来たし、それは家族から捨てられた後も変わらない。道は違えど私は自分の力で未来を切り開いて行きたい」
 真剣な眼差しから意志が強固なことが容易に窺える。愛美は諦めたようにため息交じりに答える。
「そっか、まあバツが真剣に考えて出した結論だろうし、私は当然ながら応援する。ホントは寂しいし一緒の大学行きたいし止めたいんだけどね」
「ごめんなさい、でもマナならそう言ってくれると思ってた。ありがとう」
 司は笑顔で返すと本を閉じる。
「マナはもちろん大学行くんでしょ?」
「う~ん、私もキャバ嬢?」
「はい、嘘~」
「半分はホントだよ? バツと離れ離れになりたくないんだもん」
 愛美のおどけた顔を見て司は苦笑する。それと同時に、今のような関係になれた暑い夏の日の光景も思い出していた――――


――去年の夏、高校二年の夏休み。司は一人図書館で勉強をしていた。亡くなった祖母から勉強だけはしっかりするように言われており、司はそれを遺言代わりとして胸の中心においていた。母親は司を生むと育児放棄し家を出た。それ以降は父方の祖母に育てられていたが、中学に上がったと同時に祖母が亡くなり代わりに義母が出来た。
 当然ながら思春期真っ盛りの司と義母は衝突し、高校生となった今でも同居する他人という認識しかない。幸い、義母の連れ子だった義弟の守(まもる)だけは司に懐き、ニ歳差ながらも本当の姉の如く慕ってくれている。

 午前の勉強を終え近くのコンビニに向かっていると、高級車から降りてくる女子高生に目が止まる。同じ高校の制服ながら、スカートの丈は短く上着の露出も激しい。その金髪ポニーテールが印象的な女子高生も司の視線に気がつくが、興味がないようで無視して店内に入って行く。
 店内で昼ご飯用の焼きそばパンを買いつつレジを見ると、女子高生は五十歳くらいの男性といちゃいちゃ絡みつく。わざとやっているのか、店員に下着がチラチラ見えるように屈んだりしている。レジが終わるといちゃついたまま車に乗り走り去って行く。レジに並びつつ背後で司は無表情でその光景を見送るが、レジの女の子は顔を真っ赤にしてうろたえていた。
 午後の勉強を済ませ、陽が陰り仄暗くなった歩道を帰宅していると、前の石垣にブラが半分見えたまま座り込む女子高生が見える。黙ったまま前を通り過ぎようとすると呼び止められた。
「ねえ、アンタ。アンタ昼間コンビニでアタシにガン付けてたっしょ? バカな女がいるみたいな感じでさ? 気分悪かったんだけど?」
 司は立ち止まると女子高生をじっと見つめる。何も言わずに見つめてくる司に女子高生の顔つきが変わる。
「その目だよ! その蔑んだような目でアタシを見るな!」
 石垣を降りると女子高生はにじり寄ってくる。司は相変わらず微動だにしない。
「何とか言えよ? それともビビって声出ないか?」
 女子高生の脅しに司は初めて口を開く。
「目つきは生まれつき。見てるのは、貴女が私を呼び止めたから。見られたくないと思っているなら、最初から呼び止めないで。時間の無駄だから」
 淡々と語る司に女子高生は苛々している。
「ふ~ん、アンタいい度胸してるね。私、結構悪い男友達多いんだけど?」
「あらそう、友達自慢は鏡の前にでもしとくのね」
「アンタ、あんまふざけてるとただじゃおかないよ?」
「ご自由に。私もただじゃやられない。徹底的に戦うわよ?」
 予想外な司の迫力に女子高生も少し怖じけづいている。二人の間にしばらく沈黙が流れるが、女子高生の方から口を開く。
「強がりがいつまで続くか。顔覚えたから今度から道を歩くときは気をつけな。いつ何が起こるか分からないから」
「ご心配なく。横断歩道では右見て左見て右見て渡ってるから」
「バーカ、死ね!」
 司の冗談に女子高生は捨て台詞を吐き去って行く。司はその場からじっと動かず去って行く女子高生を見送る。女子高生は一度だけ振り向くが、微動だにしない司に恐怖感を覚えたのか小走りで逃げて行った。

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