ベストフレンド
第18話
祐輔からたくさんの愛を貰った翌日。恐る恐る自宅マンションに帰ると、ソファで紅茶を飲みつつ待ち構える愛美と目が合う。愛美に対しても何も告げず一夜が過ぎ、司はいろいろと生きた心地がしない。
「お、おはようマナ」
「おはようバツ」
目つきと表情からして愛美が怒っているのは明白だ。ソファに座らず下の絨毯に正座し愛美と向き合う。しばらく沈黙が流れ司から頭を下げる。
「ごめんなさい」
「何に?」
「連絡しなくて」
「他には?」
「仕事サボってごめんなさい」
「他には?」
「えっ、他に?」
「弟君との顛末報告」
「あ、それか。昨日の原因はそれにあるんだけど」
「ちゃんと話して」
有無を言わさぬ愛美のオーラを受けて司は昨日のことを話す。守との件は同情されるが、以降の祐輔との絡みについては駄目出しされる。
「何度も連絡したんだから、一度くらい連絡寄越しても良かったんじゃない?」
「ごめん、朝着信履歴の数を見て悪いことしたって思った」
「なんで昨日のうちに返さなかったの? 私、むっちゃ心配したんだからね?」
「本当にごめんなさい」
「理由は?」
理由を問われ司は顔を赤くする。その仕種から愛美は瞬時に状況を悟る。
「まさか一晩中?」
驚きながら聞く愛美に司は無言で頷く。愛美は呆れ返り苦笑いする。
「私と付き合ってるときでも一晩中は無かったわ。呆れた。ユウにもバツにもね」
「ごめんなさい。でも、ずっとじゃないから。途中疲れて何度か仮眠したし」
「聞いてない上に、どうでもいいわそんなこと。心配したり職場への根回ししたのが滑稽だわ」
「あっ、やっぱり根回ししてくれた?」
「有りがちだけど急病ってことになってるから、今日出勤したらちゃんと立ち回ってよ?」
「う~ん、流石は心の友。頼りになるわ」
「バツからジャイアニズムを聞くとは思わなかった。こういうのは最初で最後にしてよ?」
「はい、ごめんなさい。反省してます」
「っていうか、彼氏出来た途端にバツはだらけちゃったね。ナンバーワンの座ももう危ういんじゃない?」
「ぶっちゃけユウが私のナンバーワンかな」
司のこのセリフを聞いた瞬間、愛美は今まで見たことがないくらい目を見開き、口を開けて絶句していた。
半年後、キャバ嬢引退の日を向かえ司は入念にメイクアップする。引退セレモニーということで、今までお世話になった客が大勢押し寄せ、無事花道を飾ることに成功する。ナンバーワンを引き継いだ愛美も、今回の引退については反対しなかった。ユウという彼氏が出来た時点で、司がナンバーワンを維持出来るモチベーションを保てるとは思っていなかったという点もある。案の定、売上は下がり引退直前では司と愛美の売上はほぼ同額まで近付いていた。
深夜二時を回った頃には引退セレモニーが終わり、タクシーに乗り自宅マンションへと向かう。最後ということで店の前からタクシーに乗ったため、愛美は一緒に帰れていない。エレベーターに乗り扉の前まで行くと、祐輔が花束を抱えて待っている。小走りに駆け寄ると労いの言葉と共に花束を渡される。
「長い間、お疲れ様。よく頑張ったな、バツ」
「ありがとう。中に入って、コーヒー入れるから」
玄関に入ると背後から祐輔が抱きしめてくる。
「ダメだよ、ユウ。ちょっとしたらマナ帰ってくるから」
「マナなら今日は実家に帰るよ。さっきメールがあった」
「えっ、本当?」
「二人っきりでお祝いしてってさ。粋な計らいだよな」
「マナらしいわね。でも嬉しい」
「だな」
笑い合ってキスを交わすと、祐輔は照れ臭さそうに口を開く。
「あのさ、このドレスアップした姿って今日で最後だよな?」
「もちろん。私服でコレはないからね」
「じゃあ一ついい?」
「うん、何?」
「この姿のバツを抱きたい」
ストレートに言われ呆気に取られるも、司は笑顔で頷いた。翌日、祐輔をマンションから送り出して程なく、愛美が帰ってくる。引退する前から考えていたことだが、このマンションを愛美に譲り、自身は祐輔のマンションへ移り住むと語る。愛美はそのことを予期していたようで、寂しいとは言ったものの反対はしなかった。
ニヶ月後、順風満帆な同棲生活を送っていた春先の午後、珍しく愛美からメールが届く。キャバ嬢を引退して以来、愛美からの連絡は減っていた。メールを開くとそこには『大事な話がある』とだけ書かれてある。急いでマンションまで行くと、懐かしいソファに座った愛美が待ち受ける。挨拶もそこそこにメールの件を問う。
「大事な話って?」
「二つあるんだけど、良い話と悪い話、どちらから聞く?」
「どっちも聞くつもりだから順番どうでもいいんだけど。じゃあ、良い話」
「私、彼氏出来た。不倫だけど」
「それは良い話じゃない。止めときなさい」
「言われると思った。でも好きになっちゃったんだから止められようもない。恋は盲目です」
「気持ちは分かるけど、絶対止めて。止めないと私がマナと縁切るよ?」
縁を切ると言われ愛美は焦る。
「そ、それはちょっと言い過ぎじゃない? 冗談だよね?」
「本気。マナはやっちゃいけないことしてる。引き返せるうちに引き返した方がいい。大変なことになるよ?」
司の本気を間近に感じて愛美は戸惑うが何とか反論する。
「好きになった相手がたまたま既婚者だっただけってことでしょ? 人を好きになるって気持ちがそんなに悪い?」
「人を好きになるという気持ち自体は悪くないわ。ただ、それを形にしてはいけない恋というのもあるの。マナの場合、相手を好きになって深く想うことは良いことよ。でも、誰かの不幸の上にそれがあってはダメ。そんなのは独りよがりで自分勝手なお子様理論よ。本当に好きなら相手やその伴侶を困らせたり悲しませたりしてはダメ。相手が別れるのを待って付き合うのが筋だと思う」
司から放たれる力強い正論に愛美の顔は歪む。
「マナ、今から言うことをよく聞いて。人を好きになる気持ちが抑えられないのは真理よ。でもね、大前提として人に迷惑を掛けちゃダメなの。お金欲しいからって強盗しちゃダメなのと同じようにね。それでも好きな気持ち、ここでは敢えて我が儘と言い換えさせてもらうけど、我が儘を通すというのなら、その行いによる結果を全て受け取める覚悟が必要。奥様やお子様に怨まれること、彼が社会的制裁を受けること、民事裁判で慰謝料を払うこと。最悪のケースだとマナだけじゃなく、彼や奥様やお子様が死んだりするかもしれない。嫉妬による怨みを甘くみない方がいい。これだけ言って、まだ不倫関係を望むというなら私は止めない。今言った結果を全て受け入れる覚悟があるってことだからね。当然私とは縁が切れると思ってね? さ、結論は?」
畳み掛けられる司の言葉を聞いて、愛美は苦虫を噛み潰したように不快な顔つきになる。黙ったまま凝視していると、愛美は口を開く。
「わ、別れない。私達のこと何知らないバツに正論だけを振りかざして否定されたくない」
「分かった。マナは頭いいから、さっき私が言った覚悟の意味は理解してるはず。二度は言わないわ。縁を切る前に、もう一つの話、悪い話の方を聞かせて。私にとって今以上の悪い話なんて無いだろうけど」
「分かった。でも、今から話す話は確定じゃなくて推測も入ってるから、そこはバツで判断して」
「分かったわ。で?」
「ユウのことなんだけど、ユウって今お世話になった大学病院で先生の助手してるんだよね?」
「ええ、メスは握れないけど医療に携わりたいって言ってね。それが何?」
「それ嘘だと思う」
「えっ!? どういうこと?」
「メス握れなくなったのはホントだと思う。けど、大学病院でってところは嘘」
「嘘じゃない! 私何度も一緒に大学病院に行ったもの。まさかマナ、縁切ると言った仕返しで私を困らそうとしてる?」
「もう今日で会うの最後だから言わせて貰うけど、バツのその懐疑的な性格直した方がいい。そんなんじゃユウとも上手くいかない。だいたい親友相手に嘘ついたりなんかしないよ。親友疑うなんて最低」
「不倫女に最低呼ばわりされたくないから。もう話は終わり? 一秒でも早く帰りたいんだけど?」
司の荒々しい態度を見て愛美は溜め息をつく。
「話は無い。もう帰っていいよ」
「さよなら。今までありがとう、マナ」
愛美の返事も聞かないまま司はリビングを後にする。残された愛美の頬には一筋の涙が伝っていた。