ベストフレンド
第19話
愛美との一戦でモヤモヤした気持ちながらも、手料理を作りつつ祐輔の帰りを待つ。同棲生活を始めてから二ヶ月。一日も欠かすことなく手料理を振る舞い、お昼には弁当も持たせていた。好き嫌いなく何でも食べてくれる祐輔を想い頬が緩む。
(一番のご馳走は私なんだけど、なんてね)
一人ボケツッコミをしていると玄関のドアが開き祐輔が帰ってくる。
「おかえりなさい、今日もお疲れ様でした」
「うん、ただいま。今日は唐揚げ?」
「うん、ユウの好物! 好きでしょ?」
「ああ、早く食べたいな」
「了解。すぐに支度するから着替えて待ってて」
新妻気分で配膳を済ませると席につく。礼を済ませ唐揚げを食べているとユウがゆっくり箸を置く。
「ユウ?」
「あのさ、今日マナと何かあった?」
祐輔の台詞を受けて愛美が祐輔にメールをしたのだと推測する。
「まあ、ちょっとね。ただの喧嘩よ。よくあることだからユウは気にしないで」
努めて明るく振る舞うが、ユウの表情は曇ったまま晴れない。
(もしかして、マナのやつ今日のこと全部話した?)
内心焦りつつ黙っているとユウは急に笑顔になる。
「バツ、幸せになれよ」
「えっ?」
突然の台詞に司は戸惑う。
「幸せになれっていうか、既に毎日幸せなんだけど? どしたのユウ? 変だよ?」
「まあな。ところで、マナと喧嘩したって言うなら早く仲直りしろよ。あいつはイイヤツだからな」
イイヤツと言われても先の不倫の件もあり、司は素直に受け止められない。
「うん、そのうち仲直りするよ。ユウは気にせず仕事に専念して。家のことは私が全部するから」
「ああ、いつもありがとう。俺は幸せ者だな」
「それは私の台詞よ。毎日毎日幸せ過ぎて怖いくらいだもの。これからもずっと一緒に居ようね」
「ああ、ずっと一緒だ」
祐輔の笑顔を見て、司は今自分が世界で一番幸せ者だと実感した。
一ヶ月後、いつものように幸せな朝を迎え、いつものように祐輔を送り出す。近所のスーパーで夕飯の買い物を済ませ帰宅すると冷蔵庫に手際よく詰めていく。掃除や洗濯を一通り済ませると昼ドラを見ながら昼食を取る。
(結婚してないけど、もしこのままユウと結婚したら、こんな毎日が続くのかな? あっ、でも子供出来たら騒がしくなるか。それはそれで楽しいかも)
未来予想図を描きながらドラマを見ていると、携帯電話の着信音が邪魔をする。液晶画面にはマナの文字が浮かんでいる。不倫バトル以降完全に連絡を絶っており、この着信もあの事件以来となる。
(縁を切ったのにまた連絡してくるなんて、どういう神経してんだろ? 面倒なことになりそうだし無視ね)
着信音を無視しクッションの間に携帯電話を挟むと再びドラマに集中する。見終えて洗い物を済ませ一息つくと携帯電話のことを思い出しクッションから取り出す。着信履歴を見るとマナから五十件近い着信が残っている。
(何コレ? 尋常じゃない。何かとんでもないことが起こってるんじゃ……)
着信履歴を見ながらゾッとしていると、再びマナから着信が入る。司は意を決して通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「もしもしバツ? やっと繋がった! 何してたの!?」
興奮気味に語る愛美に司は訝しがる。
「何って、別にもう貴女には関係ないでしょ? 縁切ったんだから」
「はぁ!? まさかそんなことで電話出なかったの?」
「そんなこととは失礼ね。とにかく貴女と話すことなんて……」
「ユウが死んだの!」
言葉を遮る愛美の声に司は一瞬言葉を失う。
「な、何また変な嘘を。ユウなら今日も元気よく仕事に……」
「バカ! 私言ったよね? 親友には嘘つかないって? 大学病院に仕事なんて行ってなかったの! 毎日毎日抗がん剤治療に行ってたのよ! 身体の中はとっくにボロボロだったの。このことはユウの両親からさっき聞いた。ユウはね、残り少ない時間をバツと過ごすことを選んだの。バツに幸せな時間を与えるために……」
携帯電話の向こう側で愛美の泣き声が聞こえ、この話が質の悪い悪戯と思えなくなる。
「なんかおかしいと思ったの。バツを宜しく頼むとか、仲直りしろとかやけにメールが来るから。大学病院の件も、同伴のお客さんから聞いたけど、ユウは働いてないって言ってた。今、その大学病院にいるから早く来て」
愛美の言葉を現実として捉えることが出来ず、司はその場でしゃがみ込む――――
――一時間後、乗車を控えていたタクシーで病院に向かい、大金をはたいて降車する。入口には愛美が待っており、おぼつかない足取りの司を引っ張り病室に向かう。部屋に入ると祐輔の両親が来ており呆然としている。目が真っ赤なところを見るに泣き腫らした後なのだろう。ベッドに近づくと安らかに眠る祐輔の顔が見られる。
「寝てるだけでしょ?」
愛美に確認するも微動だにしない。横たわる祐輔の頬に触れると冷たい感覚が手の平に広がる。
「嘘よ。今朝ぴんぴんしてたもの。みんなで私を騙そうとしてるんでしょ? そうはいかないから。ねえユウ、こんな質の悪いドッキリはいいから早く起きて。起きるタイミングを外して困ってるんなら許してあげるから、ほら早く」
祐輔の肩を掴んで揺するも起きる気配はない。
「えっ? まさかユウ本気で寝てる? ウケるわ。こんなに人がいて引っ込み着かなくなった? もう、笑わせないでよ~」
笑いながら肩を揺らし布団がずれ落ちる。愛美は堪らず止めに入る。
「バツ、死んだの。ユウは起きない。死んじゃったのよ……」
「いやいや、何言ってんの? アンタの言うことなんて信じないから。あっ、そうだユウ! 今日ね、好物の唐揚げをしようと思って鶏肉をたくさん買ったの。後ユウの好きなコンソメのスープも……」
「司!」
愛美の大きな声で司は言葉が止まる。
「もう分かってるでしょ? ユウはもう死んだの。唐揚げもコンソメスープも食べられないところに行っちゃったの。二度と会えない遠い遠いところへ……」
愛美の言葉が頭の中にすっと入り、冷静に祐輔を見つめ返す。
「何で、死んだの?」
「自殺。投薬過剰による自殺」
「何で、ユウは黙ってたの?」
「バツのこと愛してから」
「何で、私も一緒に連れていかなかったの?」
「バツには生きて幸せになる義務があるから」
幸せという単語を聞いて司の脳裏に祐輔の言葉がよみがえる。
『バツ、幸せになれよ』
「唐揚げ……」
「えっ?」
「唐揚げをね、食べてるとき。ユウは言ったの『幸せになれよ』って。おかしいと思った。『幸せにするよ』とか『幸せになろうな』とかじゃなかったから。そっか、ユウはもうあのときから決めてたんだ……」
「バツ……」
司の瞳からはいつの間にか涙が溢れている。
「幸せになれよなんて反則だよ……、私だけ残して何も言わず一人で逝くなんて。なんで黙って逝ったの? なんで病気のこと隠したの? なんで幸せになれなんて言ったの? 幸せになんかなれないよ! バカ! ユウのバカ!!」
安らかに眠る祐輔の胸の中で司は泣きじゃくる。その姿を見て愛美も鳴咽が出る程泣き始める。天まで届くほどの悲しみの声は、いつまで止むことなく病室を包んでいた。