Love Butterfly
後片付けがやっと終わったのは、もう夜中の十二時近くになってた。俺は賄いで出した、ちらし寿司の残りを折詰につめて、店を出た。
喫茶店に行くと、あの子はカウンターで居眠りをしていた。
「おい」
俺の声に、はっと顔を上げて、一瞬きょとんとした。
「行こうか」
どうやら、割烹着じゃないから、俺ってことがわからなかったみたいだ。
コーヒー代を払ってやって、外に出て、歩き出すと、その子はハイヒールをカタカタいわせながら、一生懸命小走りについてくる。
「なあ、どこ行くん?」
「俺んち」
その子は、ちょっと戸惑った顔をした。
「心配すんな。お前みたいな女、タイプじゃねえから」
俺のアパートは、店から五分くらいのところにある、ワンルームで、連れてきたものの、どうやって寝ようかとか、ちょっと考えたけど、まあ、なるようになるかなと思って、鍵を開けた。
「一人暮らしなん?」
「ああ」
朝早くから出て、帰ってくるのはこの時間だから、部屋の中は冷え切ってて、その子は薄着だし、寒そうに、こたつに入った。
コタツをつけてやって、俺のパーカーをかけてやると、その子は、素直に、ありがとう、と笑った。
「食えよ。腹減ってんだろ?」
コタツに折詰を出して、中を見て、その子は、わあっと、言った。
「おいしそう! 食べていいん?」
「うん。食えよ」
その子は一口食べて、びっくりした顔をした。
「……どう?」
「めっちゃおいしい! すごいおいしい!」
「それ、俺が作ったんだよ」
「ええ! すごい! プロみたいや!」
「プロになるために、修行中だよ。さ、食えよ。お茶、入れてくるから」
正直、俺は、めっちゃ嬉しかった。それは、俺が作った賄いで、先輩には、ちょっとダメ出しされたけど、こうやって、おいしいってガツガツ食べてもらえると、やっぱり嬉しい。俺は、そういう顔を見るために、板前になったんだから。
「うう、のど、詰まった……」
「そんな急がなくても、誰もとらねえよ」
見た目はちょっと、だけど、その食べる様子をじっと見ていると、なんか、ガキみたいで……かわいい、かも。
「あー、おいしかった。ごちそうさまでした」
その子はお茶を飲んで、灰皿ある? ってタバコを出した。
「ここは禁煙。それに、お前、未成年だろ?」
ちょっとふくれて、タバコをカバンに投げ入れた。
「で、名前は?」
「……さゆり、でええわ」
さっきまで笑ってたのに、もう、その子の顔からは笑顔が消えて、俯いて、髪の毛をねじねじしている。
「東京に、何しに来たの?」
「うち、人に会いに来たんやけど……どこにおるかもわからんくて……」
「友達?」
「ううん……」
「その人の名前は?」
「さゆり」は、もう、何も言わなくなった。俯いて、横に首を振るだけで、何を聞いても、それ以上は何も言わなかった。
そして、会話が途切れて、俯いていたさゆりが、顔を上げた。
「あの……村木さん……よかったら、うち、あの……」
「何?」
「ここに、置いてもらわれへん?」
置いてって……それって、一緒に暮らすってことか? そんな、そんなこと、無理に決まってるけど……でも、たぶん、さゆりは、行くところがない。ここを出たら、たぶん、住むところもなくて……どうなるんだろう……
「も、もちろん、タダで、とは言わへん……でも、今は、その、お金がないから……」
黙ったままの俺の眼の前で、彼女は立ち上がって、服を脱ぎ始めた。
「ちょっと、何やってんだよ!」
「しばらくは、カラダで……」
下着だけになったさゆりの体には、所々あざがあった。俺は、直感した。この子は、逃げてきた。たぶん、カラダを売らされてて、その元締めから、逃げてきたんだ。
「そんなもん、いらねえよ!」
「でも……うち……行くところが……」
さゆりは、大きな目に涙を溜めて、俺を見ている。ああ、もう、そんな目で見られたら、断れないだろ!
「わかったよ。置いてやるから」
「ほんまに! ありがとう! 村木さん、優しいなあ!」
下着姿のさゆりは、俺に抱きついた。その体は、見た目よりずっと細くて、安い香水の匂いがした。
「もう、わかったから。とりあえず、服を着ろ」
「あ、うん」
さゆりは、俺のパーカーを着て、ズボン貸して、と言って、それを穿いて、俺の前に正座をした。
「しばらくは、置いてやる」
「うん」
「仕事を見つけて、住むところが見つかるまでだ」
「……仕事……」
「ただし、そういうことで稼いだ金はいらない。そういうことは、今後は一切禁止だ」
「もう、客、とらんでええの?」
「そんなこと、させるか!」
さゆりは俺をじっと見て、メソメソと泣き出した。やっぱり、そうだ。男に、客をとらされてたんだ。
「……ここにいたら、大丈夫だから」
顔を上げたさゆりの顔は、マスカラがちょっと流れていて、つけまつげが、とれかけていた。俺はティッシュを出してやって、さゆりは鼻をかんで、とれかけたつけまつげを外した。
「でも、ここは、店の寮だから、家族以外はいれちゃいけないんだよ」
「そうなんや……」
「そうだなあ。うん、今日から、お前は俺の妹だ。小さい頃、大阪の親戚に引き取られて、ずっと別に暮らしていた、妹。それでいこう」
「妹? そんなん、バレへんの?」
「俺、施設出だから、そういえば、誰も疑わないよ」
「施設出って……親、いてないの?」
「まあな。お前は? 親、いるんだろ?」
「……いてない」
それは、たぶん嘘で、さゆりは、俺みたいな、施設出もなく、ゴロツキでもない。たぶん、さゆりは、どっかの普通の、家庭の子。根拠はないけど、俺はそう、思った。でも、さゆりは、ずっと傷ついてきた。虐待かもしれないし、いじめかもしれないし、それはわからないけど、俺の周りには、ずっとそんなヤツばっかりで、俺たちは俺たちなりに、社会の隅っこで、一生懸命生きてきたけど、なかなかうまくいかない。うまくいかないから、俺たちは逃げてしまう。もうこれ以上、傷つきたくないから、その前に、誰かを傷つけてしまう。少なくとも、二年前までの俺は、そうだったから、目の前で、親はいない、なんて嘘をつくさゆりが、とてつもなく、悲しくて、俺にできることがあるなら、そうしてやりたいと、それが、純粋な気持ちだった。
「そうか。じゃあ、俺たちは、親のいない同士、今日から兄妹だ」
「兄妹……村木さんは、うちのおにいちゃんってこと?」
「そうだよ。これからは、俺のことは、おにいちゃんって呼べ。いいな?」
「おにいちゃん……おにいちゃん……」
さゆりは嬉しそうにそう繰り返した。そして俺も、嬉しかった。初めて、俺にも、家族ができた気がした。
喫茶店に行くと、あの子はカウンターで居眠りをしていた。
「おい」
俺の声に、はっと顔を上げて、一瞬きょとんとした。
「行こうか」
どうやら、割烹着じゃないから、俺ってことがわからなかったみたいだ。
コーヒー代を払ってやって、外に出て、歩き出すと、その子はハイヒールをカタカタいわせながら、一生懸命小走りについてくる。
「なあ、どこ行くん?」
「俺んち」
その子は、ちょっと戸惑った顔をした。
「心配すんな。お前みたいな女、タイプじゃねえから」
俺のアパートは、店から五分くらいのところにある、ワンルームで、連れてきたものの、どうやって寝ようかとか、ちょっと考えたけど、まあ、なるようになるかなと思って、鍵を開けた。
「一人暮らしなん?」
「ああ」
朝早くから出て、帰ってくるのはこの時間だから、部屋の中は冷え切ってて、その子は薄着だし、寒そうに、こたつに入った。
コタツをつけてやって、俺のパーカーをかけてやると、その子は、素直に、ありがとう、と笑った。
「食えよ。腹減ってんだろ?」
コタツに折詰を出して、中を見て、その子は、わあっと、言った。
「おいしそう! 食べていいん?」
「うん。食えよ」
その子は一口食べて、びっくりした顔をした。
「……どう?」
「めっちゃおいしい! すごいおいしい!」
「それ、俺が作ったんだよ」
「ええ! すごい! プロみたいや!」
「プロになるために、修行中だよ。さ、食えよ。お茶、入れてくるから」
正直、俺は、めっちゃ嬉しかった。それは、俺が作った賄いで、先輩には、ちょっとダメ出しされたけど、こうやって、おいしいってガツガツ食べてもらえると、やっぱり嬉しい。俺は、そういう顔を見るために、板前になったんだから。
「うう、のど、詰まった……」
「そんな急がなくても、誰もとらねえよ」
見た目はちょっと、だけど、その食べる様子をじっと見ていると、なんか、ガキみたいで……かわいい、かも。
「あー、おいしかった。ごちそうさまでした」
その子はお茶を飲んで、灰皿ある? ってタバコを出した。
「ここは禁煙。それに、お前、未成年だろ?」
ちょっとふくれて、タバコをカバンに投げ入れた。
「で、名前は?」
「……さゆり、でええわ」
さっきまで笑ってたのに、もう、その子の顔からは笑顔が消えて、俯いて、髪の毛をねじねじしている。
「東京に、何しに来たの?」
「うち、人に会いに来たんやけど……どこにおるかもわからんくて……」
「友達?」
「ううん……」
「その人の名前は?」
「さゆり」は、もう、何も言わなくなった。俯いて、横に首を振るだけで、何を聞いても、それ以上は何も言わなかった。
そして、会話が途切れて、俯いていたさゆりが、顔を上げた。
「あの……村木さん……よかったら、うち、あの……」
「何?」
「ここに、置いてもらわれへん?」
置いてって……それって、一緒に暮らすってことか? そんな、そんなこと、無理に決まってるけど……でも、たぶん、さゆりは、行くところがない。ここを出たら、たぶん、住むところもなくて……どうなるんだろう……
「も、もちろん、タダで、とは言わへん……でも、今は、その、お金がないから……」
黙ったままの俺の眼の前で、彼女は立ち上がって、服を脱ぎ始めた。
「ちょっと、何やってんだよ!」
「しばらくは、カラダで……」
下着だけになったさゆりの体には、所々あざがあった。俺は、直感した。この子は、逃げてきた。たぶん、カラダを売らされてて、その元締めから、逃げてきたんだ。
「そんなもん、いらねえよ!」
「でも……うち……行くところが……」
さゆりは、大きな目に涙を溜めて、俺を見ている。ああ、もう、そんな目で見られたら、断れないだろ!
「わかったよ。置いてやるから」
「ほんまに! ありがとう! 村木さん、優しいなあ!」
下着姿のさゆりは、俺に抱きついた。その体は、見た目よりずっと細くて、安い香水の匂いがした。
「もう、わかったから。とりあえず、服を着ろ」
「あ、うん」
さゆりは、俺のパーカーを着て、ズボン貸して、と言って、それを穿いて、俺の前に正座をした。
「しばらくは、置いてやる」
「うん」
「仕事を見つけて、住むところが見つかるまでだ」
「……仕事……」
「ただし、そういうことで稼いだ金はいらない。そういうことは、今後は一切禁止だ」
「もう、客、とらんでええの?」
「そんなこと、させるか!」
さゆりは俺をじっと見て、メソメソと泣き出した。やっぱり、そうだ。男に、客をとらされてたんだ。
「……ここにいたら、大丈夫だから」
顔を上げたさゆりの顔は、マスカラがちょっと流れていて、つけまつげが、とれかけていた。俺はティッシュを出してやって、さゆりは鼻をかんで、とれかけたつけまつげを外した。
「でも、ここは、店の寮だから、家族以外はいれちゃいけないんだよ」
「そうなんや……」
「そうだなあ。うん、今日から、お前は俺の妹だ。小さい頃、大阪の親戚に引き取られて、ずっと別に暮らしていた、妹。それでいこう」
「妹? そんなん、バレへんの?」
「俺、施設出だから、そういえば、誰も疑わないよ」
「施設出って……親、いてないの?」
「まあな。お前は? 親、いるんだろ?」
「……いてない」
それは、たぶん嘘で、さゆりは、俺みたいな、施設出もなく、ゴロツキでもない。たぶん、さゆりは、どっかの普通の、家庭の子。根拠はないけど、俺はそう、思った。でも、さゆりは、ずっと傷ついてきた。虐待かもしれないし、いじめかもしれないし、それはわからないけど、俺の周りには、ずっとそんなヤツばっかりで、俺たちは俺たちなりに、社会の隅っこで、一生懸命生きてきたけど、なかなかうまくいかない。うまくいかないから、俺たちは逃げてしまう。もうこれ以上、傷つきたくないから、その前に、誰かを傷つけてしまう。少なくとも、二年前までの俺は、そうだったから、目の前で、親はいない、なんて嘘をつくさゆりが、とてつもなく、悲しくて、俺にできることがあるなら、そうしてやりたいと、それが、純粋な気持ちだった。
「そうか。じゃあ、俺たちは、親のいない同士、今日から兄妹だ」
「兄妹……村木さんは、うちのおにいちゃんってこと?」
「そうだよ。これからは、俺のことは、おにいちゃんって呼べ。いいな?」
「おにいちゃん……おにいちゃん……」
さゆりは嬉しそうにそう繰り返した。そして俺も、嬉しかった。初めて、俺にも、家族ができた気がした。