Love Butterfly
「お先でしたー」
しまった。押入れが開きっぱなしだ。
さゆりは、ちらりと押入れの中のボストンバッグを見て、そのまま襖を閉めて、鏡の前で、ドライヤーをかけ始めた。
勝手に見てしまったことを、やっぱり謝ったほうがいいだろうと思い、俺は、さゆりの顔を鏡越しに見た。
「何?」
「いや……あのさ……」
さゆりも、俺を鏡越しに見た。鏡越しに目が合って、でも、そのさゆりの目は、いつものかわいい、さゆりの目ではなかった。
「……なんや」
そう言って、俺に、動いたままの、ドライヤーを投げつけた。
「何見とるんや!」
俺は、包丁を置いて、飛んできたドライヤーの電源を切った。……そして、確信した。
「さゆり……」
さゆりは、肩を触ろうとした俺の手を、払いのけ、そして、俺を、睨みつけた。
「誰やお前! うちに触るな!」
顔は真っ青で、手が震えている。認めたくなかったけど……さゆりは、クスリをやっていた。いや、やらされていたんだろう。それは……禁断症状。
そんな女の子を、俺は、過去に何人も見てきた。クスリをうたれて、それ欲しさに、男の言うままにカラダを売り、金を貢がされ、最後は、ゴミのように、捨てられる。さゆりは、その、ゴミ、寸前だったのかもしれない。ゴミ寸前で、さゆりは、逃げてきたんだろう。
目の前のさゆりは、まるで別人で、俺のことを、怯えた目で、震えながら、睨んでいる。ハアハアと、息苦しそうに、肩で息をしながら、俺を、睨んでいる。その目は、冷たくて、もう、生きている人間とは思えないくらい、光がない。
「さゆり……俺、だよ。おにいちゃん、だよ……」
抱きしめようとした俺に、さゆりはとっさに体を逃し、そして、コタツの上の野菜クズを見て、悲鳴を上げた。
「む……虫……! 虫が! いやあ!」
さゆりには、幻覚が見えている。この野菜クズが、さゆりには、きっと、大量の、虫に見えている。
「いや……いや……虫、いや……」
そう繰り返して、さゆりは、一心不乱に、体を拭っている。きっと、今、さゆりの体に、その虫たちが、這いずり回っている。そして、さゆりは、包丁を手にとって、コタツの上の野菜クズを、突き刺し始めた。
「さゆり、ダメだ! それは虫じゃないから!」
でも、もう、遅かった。さゆりは、それを、自分の手に、向けた。
「さゆり! やめろ!」
さゆりの左手の甲から、血が流れはじめ、それでもさゆりは、やめなかった。刃先を足に向けて、俺は必死で、さゆりの手から、包丁を取り上げた。
「しっかりしろ! さゆり!」
その声に、さゆりは、ふと俺を見て、小さな子供のように、体を丸めた。
「ごめんなさい……な……なぐらんといて……ごめんなさい……なぐらんといて……」
俺はもう、辛くて、涙を堪えることが、できなくなっていた。
ブツブツと繰り返すさゆりは、立ち上がって、玄関に向かって歩いていく。
「さゆり、どこ行くんだ」
「……ご飯やから……帰らな……時間に……遅れたら……怒られるから……」
フラフラと歩くさゆりを、強く抱きしめた。左手からは、ポタポタと、血が落ちている。俺は、その手をタオルで縛って、とにかく、強く、抱きしめた。俺の腕の中で、さゆりは、ずっとブツブツと何か言っている。たぶん、ここがどこなのか、俺が誰なのか、自分が誰なのかさえも、わかっていない。
「どこにも帰らなくていいよ」
「ご飯……」
「ここが、お前の家だから、ご飯は、ここで食べるんだよ」
「……誰?」
「おにいちゃんだよ」
さゆりは、俺の顔をじっと見て、おにいちゃん、と呟いた。そして、放心した顔で、座り込んで、気持ち悪い、と言って、そのまま、少し、吐いてしまった。
唇から、吐瀉物が流れて、首元が汚れていく。部屋にはさゆりの、吐瀉物の臭気が広がり、俺は、その臭気に吐き気がして、でも、さゆりは、汚れたまま、どこかを見つめ、まだブツブツと言っている。
「まだ、気持ち悪いか?」
俺の言葉に、さゆりは首を横に振った。
「汚れたな。着替えようか」
その汚れたスエットは、俺のスエットで、それを脱がし、そのまま、ゴミ箱へ捨てた。汚い、とか、そういうことじゃなくて、俺は、それを捨てることで、この現実を、少しでも忘れたかった。
台所で、タオルを絞り、さゆりの口と、体を、拭いてやった。スエットの下は素肌で、胸は膨らんでいるけど、鎖骨も、肋も、ガリガリに痩せていて、肩や背中には、傷跡とか、タバコの火の火傷の跡が、たくさんあった。
しまった。押入れが開きっぱなしだ。
さゆりは、ちらりと押入れの中のボストンバッグを見て、そのまま襖を閉めて、鏡の前で、ドライヤーをかけ始めた。
勝手に見てしまったことを、やっぱり謝ったほうがいいだろうと思い、俺は、さゆりの顔を鏡越しに見た。
「何?」
「いや……あのさ……」
さゆりも、俺を鏡越しに見た。鏡越しに目が合って、でも、そのさゆりの目は、いつものかわいい、さゆりの目ではなかった。
「……なんや」
そう言って、俺に、動いたままの、ドライヤーを投げつけた。
「何見とるんや!」
俺は、包丁を置いて、飛んできたドライヤーの電源を切った。……そして、確信した。
「さゆり……」
さゆりは、肩を触ろうとした俺の手を、払いのけ、そして、俺を、睨みつけた。
「誰やお前! うちに触るな!」
顔は真っ青で、手が震えている。認めたくなかったけど……さゆりは、クスリをやっていた。いや、やらされていたんだろう。それは……禁断症状。
そんな女の子を、俺は、過去に何人も見てきた。クスリをうたれて、それ欲しさに、男の言うままにカラダを売り、金を貢がされ、最後は、ゴミのように、捨てられる。さゆりは、その、ゴミ、寸前だったのかもしれない。ゴミ寸前で、さゆりは、逃げてきたんだろう。
目の前のさゆりは、まるで別人で、俺のことを、怯えた目で、震えながら、睨んでいる。ハアハアと、息苦しそうに、肩で息をしながら、俺を、睨んでいる。その目は、冷たくて、もう、生きている人間とは思えないくらい、光がない。
「さゆり……俺、だよ。おにいちゃん、だよ……」
抱きしめようとした俺に、さゆりはとっさに体を逃し、そして、コタツの上の野菜クズを見て、悲鳴を上げた。
「む……虫……! 虫が! いやあ!」
さゆりには、幻覚が見えている。この野菜クズが、さゆりには、きっと、大量の、虫に見えている。
「いや……いや……虫、いや……」
そう繰り返して、さゆりは、一心不乱に、体を拭っている。きっと、今、さゆりの体に、その虫たちが、這いずり回っている。そして、さゆりは、包丁を手にとって、コタツの上の野菜クズを、突き刺し始めた。
「さゆり、ダメだ! それは虫じゃないから!」
でも、もう、遅かった。さゆりは、それを、自分の手に、向けた。
「さゆり! やめろ!」
さゆりの左手の甲から、血が流れはじめ、それでもさゆりは、やめなかった。刃先を足に向けて、俺は必死で、さゆりの手から、包丁を取り上げた。
「しっかりしろ! さゆり!」
その声に、さゆりは、ふと俺を見て、小さな子供のように、体を丸めた。
「ごめんなさい……な……なぐらんといて……ごめんなさい……なぐらんといて……」
俺はもう、辛くて、涙を堪えることが、できなくなっていた。
ブツブツと繰り返すさゆりは、立ち上がって、玄関に向かって歩いていく。
「さゆり、どこ行くんだ」
「……ご飯やから……帰らな……時間に……遅れたら……怒られるから……」
フラフラと歩くさゆりを、強く抱きしめた。左手からは、ポタポタと、血が落ちている。俺は、その手をタオルで縛って、とにかく、強く、抱きしめた。俺の腕の中で、さゆりは、ずっとブツブツと何か言っている。たぶん、ここがどこなのか、俺が誰なのか、自分が誰なのかさえも、わかっていない。
「どこにも帰らなくていいよ」
「ご飯……」
「ここが、お前の家だから、ご飯は、ここで食べるんだよ」
「……誰?」
「おにいちゃんだよ」
さゆりは、俺の顔をじっと見て、おにいちゃん、と呟いた。そして、放心した顔で、座り込んで、気持ち悪い、と言って、そのまま、少し、吐いてしまった。
唇から、吐瀉物が流れて、首元が汚れていく。部屋にはさゆりの、吐瀉物の臭気が広がり、俺は、その臭気に吐き気がして、でも、さゆりは、汚れたまま、どこかを見つめ、まだブツブツと言っている。
「まだ、気持ち悪いか?」
俺の言葉に、さゆりは首を横に振った。
「汚れたな。着替えようか」
その汚れたスエットは、俺のスエットで、それを脱がし、そのまま、ゴミ箱へ捨てた。汚い、とか、そういうことじゃなくて、俺は、それを捨てることで、この現実を、少しでも忘れたかった。
台所で、タオルを絞り、さゆりの口と、体を、拭いてやった。スエットの下は素肌で、胸は膨らんでいるけど、鎖骨も、肋も、ガリガリに痩せていて、肩や背中には、傷跡とか、タバコの火の火傷の跡が、たくさんあった。