even if
『昨日、生徒から匿名で電話がありました』

匿名?
普段、聞きなれない言葉に、背筋がぞわり、とする。

『平井先生が、男子生徒と特別な関係にある、といった内容の電話です』

――特別な関係――

渋谷くんとのことが、とうとうばれてしまった。
それが一番初めに思ったことだった。

私は教頭から目をそらさず、じっと聞いていた。
目をそらしたら、きっと、この蛇は私を丸飲みにしてしまうだろう。
握った拳に、じわ、と嫌な汗を感じた。

『相手の生徒については、特定できていませんが、平井先生、これは事実ですか?事実でしたら、大変なことですよ。あなたは当然解雇処分でしょうし、あなたを推薦した校長もただではすまないでしょう。それに』

教頭はわざとらしく、はぁとため息をつく。

『相手の生徒も、好奇の目で見られるでしょう。将来ある若者が、これではかわいそうだ』

私は黙って聞いていた。
私の処分とか、校長がどうとか、相手の生徒の将来だとか。
そんなこと、ひとつも心配などしていないくせに。
この人が守りたいのは、世間体と、自分の地位だけだ。


教頭は、少し身を乗り出して、冷たい目で私の目をじっと見た。


『で、平井先生、どうなんです?』

私は教頭から目をそらして、テーブルの上に置かれたガラスの灰皿をじっと見つめた。

よく刑事ドラマで凶器に使われるやつだ。

『これは事実なんですか?あなたが、生徒と不純な関係にあるというのは』


私は顔を上げた。

不純な関係?


この人は何を言っているのだろう。
私が生徒と不純な関係にあるかどうか、ですって?


私と渋谷くんが、不純なことをしているのかと、この人は聞いているんだ。


それなら答えは。


『いいえ。そのような事実はありません』


私は教頭の目をじっと見て、そう答えた。



『…そうですか。平井先生がそうおっしゃるなら、信じましょう。ただ、このような電話があったことは事実です。今後、よく気をつけて下さい。このような噂が広まったら、あなたも相手の生徒も、ここにはいられなくなることをお忘れなく』


『よくわかりました。もうよろしいですか?』


教頭の返事も聞かず、私は立ち上がった。

お辞儀をして、応接間を出るとき、チラリと灰皿が目に入った。
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