even if
『あのさ』

下を向いて、考え事をしていたせいで、いつの間にか渋谷くんが目の前に立っていたことに気付かなかった。

その顔に、いつもの笑顔はないことも、その声が、低く冷たいものであることにも。

『もう来ないから』

渋谷くんが突き放すようにそう言った。

『…え?』

我ながら、まの抜けた声だったと思う。

『…なんで?』


我ながらまの抜けた質問だったと思う。


『…なんでっ、て。っはは』

渋谷くんは、バカにしたように少し笑った。

『ただの暇潰しだったから。あわよくば、一発やっちゃおうと思ってたんだよ。先生ならすぐやらしてくれそうだったから。隙ありまくりだし』

先生?
それは…私のことだろうか。
渋谷くん、私のこと、先生だなんて呼んだことないくせに。
先生だなんて思ったこと一回もないからな、って…言ったくせに。

『でも、なかなかやらしてくれないんだもん。もう飽きたわ。もともと、夏休みまで、って決めてたし。二学期も始まったから、もうやめる。受験も忙しいしさ』

教頭になにか言われたのか、と最初は思った。
でも、教頭は相手の生徒は特定できていない、と言った。
それに…
教頭になにか言われたくらいで、渋谷くんがこんなことをいうはずがない。
渋谷くんなら、教頭の頭をあの灰皿でなぐりかねないもの。

渋谷くんは

そういう人だもの…。


『分かってると思うけど、好きだとか言ったの、あれ全部嘘だから。キスも俺誰にだってするし。そういうことだから。もう来ないし、先生も話しかけないでね』


驚きすぎて、涙も声も出なかった。
ただ、話し続ける渋谷くんを黙ってボーッと見ていた。


やっぱり、私からかわれてたの?
からかわれてた、なんてもんじゃないか…。

遊ばれてたのか。

好きだって言ったのも、キスしてくれたのも、抱き締めてくれたのも、全部…
"先生"とやっちゃいたかったからだったのか…。


渋谷くんは、私をチラッと見ると、ドアに向かって大股で歩いていく。

ノブに手をかけて、私に背中をむけたまま、最後に言った。

『一回でも、俺を好きだって言わせたかった。それだけがちょっと残念』



好きだって。


私の中で、なにかがぷっつりと切れた。

『当たり前でしょ?好きなんかじゃなかったんだから』


渋谷くんは、何も言い返さなかった。
そのままドアを開けて、保健室を出ると、後ろ手でドアをバタンと閉めた。





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