even if
『渋谷くん、おうちどこ?』


校門を出たところで、振り返って聞くと、高校から歩いて15分くらいの場所にある町名を口にした。


さいわい、雨はやんでいた。

『あ、近いね。私のうちと』

『ほんと?ななちゃん、あの辺に住んでんの?』

『うん。高校から近い方が通勤に便利だから、四月に引っ越してきたの』

『どこらへん?』

並んで歩きながらハイツの名前を口にする。
知ってるわけないけど。

『あぁ、あのクリーム色の?』

『知ってるの?』

あんなボロい小さなハイツを。

『地元ですから』

渋谷くんは笑って答えた。

渋谷くんのうちは、作りの立派な五階建てのマンションだった。
オートロックのドアの前で私は念をおす。

『ちゃんと寝ててね。お父さん帰ってきたら、診てもらってよ。この時間なら、まだ午後診でいないと思うけど。お父さん、何時頃に帰られるの?』

まだ赤い顔で、しんどそうな渋谷くんははいはい、と面倒臭そうに返事をして、

『俺、一人暮らしだし』

と答えた。

『えぇ?渋谷くん、一人暮らしなの?』

『ん…』

マンションの外壁にもたれて頷く。

『…一人で…大丈夫なの?』

『何が?』

『何が、って…いろいろ…』

『いつもは大丈夫だけど…今日は大丈夫じゃない…かも…』

珍しく弱気なことをいう渋谷くんは、ひどく心細そうに見えた。

母性本能だろうか。
胸がキュッとした。

はぁ、と深い息を吐く渋谷くんをしばらく見ていた。

具合の悪い生徒を、このまま一人の部屋に帰していいのだろうか。
放ってはおけない。

でも…。
担任でもないし、一人の生徒のために、そこまでしていいんだろうか。
こういう時は、どうするべきなんだろう。
こんなこと、授業でも実習でも習わなかったよ…。


養護教諭として、どうすればいいか、は分からないけど、人としてどうすればいいか、は分かっていた。

ただ。
理由が必要だった。
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