アマリリス
第2話
(side story 1)
二百五十年前、フランス革命の火種が燻る最中、様々な音楽家・芸術家が名を挙げていた。貴族に気にいれられ評価されるような芸術家は大成し地位と名声を得る。それら地位と名誉を求め多数の若者がその道を志していたが、現実は厳しく日銭に稼ぎ、パン一斤を買うのですら大変な思いをするのが通例となっていた。
そんな中で特異とされる若者がおり、街でもその名を知らぬ者がいないくらいの名声を得ていた。その名はタスと言い、彼は生まれながらに芸術の才に恵まれ、筆を持てば美麗な風景を描き、声色は美しく、一度バイオリンを構えるとそこにはパッと花が咲き、心酔いしれるメロディーを奏でた。
街の娘達はもとより、貴族の間でもタスの魅力溢れる才は届き、彼女らはタスの演奏を心待ちにする程だった。その才と違わぬ容姿も注目され、タスは貴族お抱えのバオイリニストにと誘いを受ける事が多かった。しかし、彼はその申し出を受ける事はなく、ただ気の向くまま弓を引く。何者からも拘束されず、タスは自分の心の赴くままに行動した。
そして、その傍らには小さな植木鉢がいつもあり、そこに咲く真っ赤なアマリリスの花から『アマリリスのタス』という異名がいつの間にかに付いていた。
タスとアマリリスの一日は自然と共にあり、漫然と雲を眺める日もあれば、川のせせらぎに耳を傾けて終わる日もあった。気ままな一人暮らしで、己の才も理解していたタスはこのままのんびり穏やかな日々がずっと続くと信じて疑わなかった――――
――幼少の頃、戦争で両親を亡くして以降、タスは一人で生き抜くことを強要された。特別運動神経が良いということもなく、何の取り得もない小さなタスに世間は厳しく。とても生きていくことができるとは思えない。当時十歳のタスは仕事にもあぶれ、ここ一週間ろくに食べ物にありつけていない。着ているボロは黒く汚れ、通りの隅をよろよろと歩くタスを人々はぼろ雑巾を見るかのように通り過ぎる。
貴族の子と思われる同年代の男子は、タスの存在が変わった生き物であるかのように不思議そうにみつめ、興味が薄れるとさっと走り去って行く。次には仲の良い親子連れが楽しく歌を歌いながら通り過ぎ、その歌が遠い昔、亡き母が歌ってくれた「アマリリス」と気がつくと、ふいに涙が溢れる。
(母様……、なぜ僕を残して逝かれたの……)
悲しみと空腹からくる眩暈と頭痛、飢えの苦しみでタスはとうとう倒れてしまう。その倒れた地面の先に咲いていた一輪の赤いアマリリスを見つけると、タスは心の中でアマリリスに問う。
「僕は何でこんな苦しい目に遭うの? 僕は生きていちゃダメな人間なの? 僕は何のために生まれてきたの? 僕も君のように綺麗に咲きたい……」
意識が薄れ行く中、タスの頭の中に言葉が飛び込んでくる。
「君は私になりたいと言う。でも私は君が羨ましい。君はその二本の足でどこにだって歩いて行ける。戦い身を守ることもできる。私は花を咲かすことしかできない」
その言葉はアマリリスから放たれるものだとタスは察する。。
「僕はもう歩けないよ。僕はもう死ぬんだ。誰からも見守られることなく疎まれ避けられ死んで行くんだ。君より先にこの世から切り離されるんだ」
「そんなことはないよ。君の心の奥には光輝く太陽が見える。側で感じるんだ、君は闇を照らす太陽だと。君は君が考えている以上に強い人だよ」
「そう言われても僕には何もないし、何も感じない。感じるのは孤独だけ」
おぼろげな瞳を向けるタスにアマリリスは凛として輝きを増す。
「君に必要なものは一切れのパンでも、冷たい水でもない。自信と勇気だ。もし君に立ち上がる勇気があるのなら私が力を貸そう。一度口を開けばそこに花が咲くかのごとき力を……」
そう言ったきりアマリリスは沈黙し、凛とした様子でタスに向かう。勇気という言葉がタスの頭を駆け巡り、その曇りにごった目が太陽のごとき輝きを放った瞬間タスはおもむろに立ち上がる。鼻から肺の奥が充満するほど一杯の空気を送ると、目を見開きタスは声を張り上げた。
「Tu crois, o beau soleil, なんて素晴らしい太陽なのだ
Qu'a ton eclat rien n'est pareil 貴女の輝きに比類するものは無い
En cet aimable temps この芳しい雰囲気の中で
Que tu fais le printemps. 貴女は、陽春をもたらしている
Mais quoi ! tu palis なんだって、君がしぼんでしまうのか
Aupres d'Amaryllis アマリリスの許で
Oh ! que le ciel est gai この上機嫌な天空の下
Durant ce gentil mois de mai ! この麗しい5月には
Les roses vont fleurir, バラは咲き
Les lys s'epanouir. ユリの花も笑む
Mais que sont les lys でも、ユリの花も顔無しさ
Aupres d'Amaryllis ? アマリリスの許ではね
De ses nouvelles pleurs 日ごとに露を得て
L'aube va ranimer les fleurs. 花々は、夜明けと共に生き返る
Mais que fait leur beaute でもそれらの美とて
A mon coeur attriste 悲しみの僕の心を癒してくれない
Quand des pleurs je lis 憂いを発見する時には
Aux yeux d'Amaryllis ? アマリリスの目の中に」
目を閉じ、一つ大きな深呼吸をしてから目の前をみると、通行人が全員動きを止めてタスを凝視している。何か悪い事したような心地になり、その場を後にしようした瞬間、さっき通り過ぎた貴族の子が拍手をしながら近づく。
「お兄ちゃん、凄く歌上手だね! 僕ビックリしちゃったよ!」
その男の子を倣うようにタスの周りは拍手で沸き返り、自分の歌がたくさんの人を感動させたのだと実感する。それと同時に、タスは花の言葉が理解でき、その花の想いを歌にできる力があるのだと知った瞬間だった。
二百五十年前、フランス革命の火種が燻る最中、様々な音楽家・芸術家が名を挙げていた。貴族に気にいれられ評価されるような芸術家は大成し地位と名声を得る。それら地位と名誉を求め多数の若者がその道を志していたが、現実は厳しく日銭に稼ぎ、パン一斤を買うのですら大変な思いをするのが通例となっていた。
そんな中で特異とされる若者がおり、街でもその名を知らぬ者がいないくらいの名声を得ていた。その名はタスと言い、彼は生まれながらに芸術の才に恵まれ、筆を持てば美麗な風景を描き、声色は美しく、一度バイオリンを構えるとそこにはパッと花が咲き、心酔いしれるメロディーを奏でた。
街の娘達はもとより、貴族の間でもタスの魅力溢れる才は届き、彼女らはタスの演奏を心待ちにする程だった。その才と違わぬ容姿も注目され、タスは貴族お抱えのバオイリニストにと誘いを受ける事が多かった。しかし、彼はその申し出を受ける事はなく、ただ気の向くまま弓を引く。何者からも拘束されず、タスは自分の心の赴くままに行動した。
そして、その傍らには小さな植木鉢がいつもあり、そこに咲く真っ赤なアマリリスの花から『アマリリスのタス』という異名がいつの間にかに付いていた。
タスとアマリリスの一日は自然と共にあり、漫然と雲を眺める日もあれば、川のせせらぎに耳を傾けて終わる日もあった。気ままな一人暮らしで、己の才も理解していたタスはこのままのんびり穏やかな日々がずっと続くと信じて疑わなかった――――
――幼少の頃、戦争で両親を亡くして以降、タスは一人で生き抜くことを強要された。特別運動神経が良いということもなく、何の取り得もない小さなタスに世間は厳しく。とても生きていくことができるとは思えない。当時十歳のタスは仕事にもあぶれ、ここ一週間ろくに食べ物にありつけていない。着ているボロは黒く汚れ、通りの隅をよろよろと歩くタスを人々はぼろ雑巾を見るかのように通り過ぎる。
貴族の子と思われる同年代の男子は、タスの存在が変わった生き物であるかのように不思議そうにみつめ、興味が薄れるとさっと走り去って行く。次には仲の良い親子連れが楽しく歌を歌いながら通り過ぎ、その歌が遠い昔、亡き母が歌ってくれた「アマリリス」と気がつくと、ふいに涙が溢れる。
(母様……、なぜ僕を残して逝かれたの……)
悲しみと空腹からくる眩暈と頭痛、飢えの苦しみでタスはとうとう倒れてしまう。その倒れた地面の先に咲いていた一輪の赤いアマリリスを見つけると、タスは心の中でアマリリスに問う。
「僕は何でこんな苦しい目に遭うの? 僕は生きていちゃダメな人間なの? 僕は何のために生まれてきたの? 僕も君のように綺麗に咲きたい……」
意識が薄れ行く中、タスの頭の中に言葉が飛び込んでくる。
「君は私になりたいと言う。でも私は君が羨ましい。君はその二本の足でどこにだって歩いて行ける。戦い身を守ることもできる。私は花を咲かすことしかできない」
その言葉はアマリリスから放たれるものだとタスは察する。。
「僕はもう歩けないよ。僕はもう死ぬんだ。誰からも見守られることなく疎まれ避けられ死んで行くんだ。君より先にこの世から切り離されるんだ」
「そんなことはないよ。君の心の奥には光輝く太陽が見える。側で感じるんだ、君は闇を照らす太陽だと。君は君が考えている以上に強い人だよ」
「そう言われても僕には何もないし、何も感じない。感じるのは孤独だけ」
おぼろげな瞳を向けるタスにアマリリスは凛として輝きを増す。
「君に必要なものは一切れのパンでも、冷たい水でもない。自信と勇気だ。もし君に立ち上がる勇気があるのなら私が力を貸そう。一度口を開けばそこに花が咲くかのごとき力を……」
そう言ったきりアマリリスは沈黙し、凛とした様子でタスに向かう。勇気という言葉がタスの頭を駆け巡り、その曇りにごった目が太陽のごとき輝きを放った瞬間タスはおもむろに立ち上がる。鼻から肺の奥が充満するほど一杯の空気を送ると、目を見開きタスは声を張り上げた。
「Tu crois, o beau soleil, なんて素晴らしい太陽なのだ
Qu'a ton eclat rien n'est pareil 貴女の輝きに比類するものは無い
En cet aimable temps この芳しい雰囲気の中で
Que tu fais le printemps. 貴女は、陽春をもたらしている
Mais quoi ! tu palis なんだって、君がしぼんでしまうのか
Aupres d'Amaryllis アマリリスの許で
Oh ! que le ciel est gai この上機嫌な天空の下
Durant ce gentil mois de mai ! この麗しい5月には
Les roses vont fleurir, バラは咲き
Les lys s'epanouir. ユリの花も笑む
Mais que sont les lys でも、ユリの花も顔無しさ
Aupres d'Amaryllis ? アマリリスの許ではね
De ses nouvelles pleurs 日ごとに露を得て
L'aube va ranimer les fleurs. 花々は、夜明けと共に生き返る
Mais que fait leur beaute でもそれらの美とて
A mon coeur attriste 悲しみの僕の心を癒してくれない
Quand des pleurs je lis 憂いを発見する時には
Aux yeux d'Amaryllis ? アマリリスの目の中に」
目を閉じ、一つ大きな深呼吸をしてから目の前をみると、通行人が全員動きを止めてタスを凝視している。何か悪い事したような心地になり、その場を後にしようした瞬間、さっき通り過ぎた貴族の子が拍手をしながら近づく。
「お兄ちゃん、凄く歌上手だね! 僕ビックリしちゃったよ!」
その男の子を倣うようにタスの周りは拍手で沸き返り、自分の歌がたくさんの人を感動させたのだと実感する。それと同時に、タスは花の言葉が理解でき、その花の想いを歌にできる力があるのだと知った瞬間だった。