時空(とき)の彼方で
「それから・・・」
「他にも何か?」
 
 しばしの沈黙の後、彼は静かに口を開いた。

「理沙がここへ来た記憶も無くなる」
「どういう事ですか?」
「理沙は、何事も無かったかのように元の世界で暮らし、俺の事も忘れてしまう」
「そんな事ない! わたし絶対あなたの事は覚えている。だって、だって・・・」
「理沙の気持ちはわかっている。俺も同じ気持ちだ」
「わたし、帰りたくない。あなたと離れたくない」

 彼の胸にしがみつく。
 
「俺も理沙を返したくない。だけど、それは無理なんだよ」
「わたし、帰っても絶対あなたを好きになる。ここでは店長と付き合っていても、向こうではきっとあなたを好きになる」
「ありがとう。向こうの世界の俺が、無事に理沙と出会える事を祈ってるよ」
「絶対に会える。そして、絶対この気持ちを伝えるわ」

 彼女には確信があった。
 22歳の彼女が初めて真剣に愛した男性。
 その気持ちは、記憶が消えたとしても、必ず心のどこかに残るはず。
 その思いを信じて、少しでも長くこの世界での2人の時間を大切にしたいと思った。

「達樹さん。ひとつだけお願いを聞いてもらえますか?」
「お願い?」
「もう一度、キスして下さい」

 そう言うと、彼女はそっと瞳を閉じた。
 やがて彼の温かい唇が触れる。
 観覧車でのキスは夢ではなかった。
 いや、あの時よりももっともっと優しいキスだった。


 岩清水からの連絡を受け、彼がホテルに到着した時にはもう彼女の姿はどこにも無かった。

「行ってしまったんですね」
「そのようです。この世界の理沙はいても、やはり寂しいですね」
「そうですね」
「理沙のメール、読みました」

 岩清水の手元には、彼女が使っていたスマホがあった。

「解約する前に、悪いとは思ったんですが、中身を覗いてしまいました」
「そうですか」
「あなたとのやり取りでいっぱいだ。わかってはいたんです。22歳の理沙は、僕ではなくあなたを愛していた事」
「・・・」
「嫉妬しましたよ。もうひとりの理沙だとわかっていても、やっぱり理沙に変わりないから」
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