鳥籠の底は朱い道
朱道の第四の能力である、

“ブラッティフェイト(永遠の共同体)”

それは自らの意思で殺し、殺した対象に自分の命の一部を提供し生を与える能力。
ただしそれは主人と下僕という上下関係に変えてしまうのだが、朱道と黒猫には意味はない。
自分の命を与えた。そんなのは当たり前のこと。
何故なら黒猫は自分であるのだからどう命を振り割っても変わらない。故に関係など端から変わるはずもない。
だからここには朱道が黒猫を生き返らせたという現実しか残っていないのだ。
この黒猫にはまた死という最後が存在するのだが、朱道の死でも黒猫は死んでしまう。これは提供の定義であり、命の維持が出来なくなるから当たり前。
この生き返らせるという能力は神の片割れ生神ですら不可能。ましてや死神ですら現実に可能とすることは出来ない。
朱道というたった一人の人間には神をも超えてしまったのか? それは違う。たかだか一人の人間には一人にしか何かを与えられないだろう。
朱道の能力はこの世界にいるたった一人にしか出来ない。そんなものが目の前に現われえる確立などこの西暦内に一回あるかないかぐらい。
故に朱道と黒猫の出会いは奇跡だった。
そして出会えたからこそ奇跡なのだ。
だから神ですら出来ない奇跡を朱道はやり遂げることが出来た。
問題があるとするならばこの後、黒猫を生き返らせたことにどんな意味があるのか。それが朱道ではなく黒猫が起こす奇跡がある。
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