たった一人の甘々王子さま
いつまでも泣き止まない優樹に話題を変えようと俊樹なりに言葉を探す。
「そうそう。優はさ、浩司さんと婚約してから男らしさがなくなってきたよな。ま、良いことだけどさ。エミが見たら喜ぶだろうな~」
社長室までの短い距離を歩きながら俊樹が語る。優樹は何とか泣き止むよう鼻をすする。
「うるせー俊!変わってねーよ!」
「あれ?さっきまでのしおらしさは?」
「ふん!そんなもんない!」
「ふ~ん、そう。ちょっとは元気出たな?じゃあ、いくぞ?」
「あ、ちょっと待って」
優樹は俊樹のノックする腕を掴んだ。
「え?何でだよ、優、嫌なことされたんだろう?父さんと浩司さんに言わないと......」
「だから、ダメだって」
俊樹には優樹の気持ちがわからなかった。
恋人でもない知らぬ男にキスをされて、相手の唇を噛むくらい嫌悪感が一杯で。
俊樹は理由が知りたくてドアをノックせずに優樹に問い掛けた。
「なにが―――」
俊樹の言葉に被さるように声がかかった。
「ユーキのいう通り、黙認するのがあなた方の為でもありますよ?」
突然かけられた声に振り向くとショウが優樹に噛まれた唇を押さえながら立っていたのだ。
ショウを見た瞬間、俊樹の眉間に皺が寄り、目付きもキツくなった。
「アンタのその口の傷、優にやられたんだろう?婚約者がいる優に無理矢理キスしておいて黙認しろとは聞き捨てならないですね?」
優樹に聞けないならこの男に聞くしかないと、思った俊樹は標的をショウに代えた。
優樹のことは自分の背に隠して。
「私を怒らせて困るのはあなた方の父上だと思いますが?今回の契約、白紙に戻しても構わないですよ?」
ショウは俊樹の言葉に怯むこともなく、逆に上から目線で語った。
浩司にも見せた不適な笑みで。
「はぁ?なんだよそれ!脅しかよ!」
そんな殴りかかりそうな俊樹を優樹が必死で止める。
「俊......いいよ。浩司に言わないで。キス、我慢する。平気、大丈夫」
優樹の単語しか言わないときの心理状態を知る俊樹は怒りが収まらない。
「俺は、そんな理不尽な要求飲めません!アンタと取引しているわけではないでしょう?たまたま、今回の窓口がアンタなだけだ。担当を代えてもらえば良いだけの話を複雑にしないでいただきたい!」
『失礼します。』そう言って俊樹はショウに背を向けて、コンコン!と、ドアを叩いた。
「はい」中から声がしたので、挨拶をしながら中へはいる。
「俊樹です。失礼します。」
優樹の手を引いて中に入る。
扉を開けると父親と浩司、そして秘書の川村さんがいる。
父親は一度、俊樹に視線を送る。
なにかを語ろうとする父親を差し置いて、俊樹から話を切り出した。
「父さん。ちょっと良い?」
「あぁ、何かな?」
手元の書類に視線を向けたまま俊樹に返事をする。
浩司も同じようだ。こちらを向くことはない。
二人の態度に苛立った俊樹は
「父さん。浩司さん。優が隣の部屋でショウって男に何されたか分かりますか?」
「俊!いいよ、言わなくて!」
俊樹の発言にすかさず止めに入った優樹だったが、すぐに動きが止まって素早く二人に振り向いて見たのは浩司だった。
「優樹、なにされた?」
すかさず、そう問い掛けたのは浩司だった。
優樹を見つめる目が鋭い。
いや、優樹の後ろに立っているショウに向けた目なのだ。
ショウの顔を見て更に浩司の目は鋭くなった。
何故なら、これ見よがしにショウは口元の優樹に付けられて出来た小さな傷に触れていたからだ。
『キスしたら噛まれちゃったんだよね....』
なんて、聞こえてきそうな目付きで下なめずりしてきたのだから。