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始まり
「お疲れ様~、終わりそう?」
パソコンに向かっていると、佐藤先輩が声をかけてくれた。
夜勤で一緒だった他のスタッフはもう更衣室に向かったのに、私がいつまでも席を立たないから、心配になったんだろう。
「301号室の方のサマリーをやれるとこまで入力しておきたいんで、あと15分であがります。」
と返事をして、またパソコンに向き直した。
「新人指導に、委員会の仕事までまわっちゃってゴメンね。後は私やるから、もうあがりなよ~。」
元々、佐藤先輩が抱えてた沢山の仕事。新人指導はほぼ一通り終わっていて、相談出来るお姉さん役として、師長との橋渡しするくらいで、そんなには困っていない。
委員会も、ずっと補佐してきてたから、引き継ぎもそれほどなかったし、夜勤の合間に書類を作れば、持ち帰るような仕事もない。
佐藤先輩は去年結婚して、最近妊娠が分かった。
ちょっとつわりがひどいほうみたいで、先月から夜勤を減らしてもらっていて、負担を減らすために、仕事を振り分けてもらった。
私は、大好きな佐藤先輩がとにかく無事に出産してくれれば、なーんにも問題ない。
でも、いつも、夜勤が一緒になったときは、帰りに温泉行ったりして、色々話をきいてもらったりしてたから、それが出来ないのがちょっと残念。
でもでも、私もいつまでも甘えていられない。
「大丈夫ですよ~!それより、先生の回診始まっちゃいますから、準備準備~。走っちゃいけないんだから、ゆっくりやってくださいねー。私も、無理せず帰りますんで。」
と、明るく追い返す。
佐藤先輩は、尊敬出来る先輩でもあるけど、気さくに話しても嫌な顔しないでいてくれるので、こんなに軽く話せちゃう。
さ、先輩が気にしちゃうから、早く終わらせちゃお。
ようやくキリのいいところまで出来たので、
「お疲れ様でした~」
と、ナースステーションのスタッフに挨拶して、更衣室に向かった。
途中、廊下で患者さんと話している佐藤先輩にペコッと頭下げながら、ニッコリ笑顔を向けると、小さくバイバイと手を振ってくれた。
あー、佐藤先輩は本当に私の癒しだ~~!
先輩がいてくれたから、今まで頑張れたと言っても過言ではない。
やっぱり、女ばかりの職場だし、小さいトラブルはたまにはある。
でも、私の働く病院は、内科と外科の一般病棟の他に、療養病棟があって、どちらかというと…というか、ほぼほとんどの患者さんがご高齢の方。ちょっと山の方にあるし、患者さんはみんな持病でしょっちゅう入退院を繰り返してる方が多い。
大きな難しい手術になると、街の大きな病院に転院になるので、割とのんびり働けるほうだ。
大きな病院はほとんど付属の看護学校や大学がついていて、私は県外の看護学校に行って、地元に戻ってきたので、入社試験はちょっぴりアウェイだった。
実家から通えるところで、入院施設がある病院は数件あるけど、入社試験のとき、私は失恋したり、体調を崩したりで、散々な精神状態で、ボロボロのまま受けた病院は、ここしか採用されなかった。
新人指導で佐藤先輩が付いてくれた入社当時は、まだちょっと引きずっていたけど、佐藤先輩が優しく、かつ、ここではやってない検査や治療も教えてくれて、私もここまで働くことができた。
県外の看護学校に通っていた頃、私には半同棲のような彼氏がいた。
1つ年下で、一緒にいてスゴく楽しかった。
でも、私は卒業したら地元に戻る約束で親から県外の学校に行かせてもらっていたので、地元の病院しか就職活動しなかった。
その話は、付き合う前からしていたことだけど、ずっとなんとかなると向き合わずにきていた。
就職活動と、実習と、論文と、資格試験と、自分のことで必死になっていた時、徐々に彼は私から気持ちが離れていたみたい。
12月末と1月始めに立て続けに就職試験があるので、クリスマス前から実家に帰省していて、さすがにクリスマスは電話しようか、と電話をかけたら、彼はでなかった。
いや、正確には、電話は繋がったけど、女の人と会ってる音声だけが聞こえてきた。
多分、浮気相手の女のほうが、決着をつけたかったんだと思う。半同棲なのに、ほったらかしにしてた私も悪いんだけど、浮気?二股?いつからか全然気付かなかった。
私が電話してくるのを待ち構えていて、かかってきてすぐに通話ボタン押したんだと思う。彼は全然気付いてなくて、楽しそうにその人と話してる声が聞こえた。
クリスマスプレゼントあげる~、って言ってるのが聞こえて、しばらくして、何も聞こえなくなった。
そこで電話を切った。それ以上は聞けなかった。
好きだったけど、予感はしていた。うちにいない日は実家にいるのかな、友達といるのかな、と思いながら、何してるのかも聞かなかった。自分のことで精一杯だった数ヶ月の記憶が押し寄せてきた。
何度振り返っても、私にはこの結果だっただろう、って諦めがついた。
でも、気持ちはやっぱり落ち込んで、次の日ひどい風邪をひいた。そこからの就職試験は散々だった。
かろうじて、今の病院は先に受けていたので、合格通知が来たときはホッとした。
他に受け直す気力もなく、とにかく資格試験に向かい、なんとか看護師免許は取得できた。
彼とは、その後一切連絡をとってない。
彼も、私が電話で何を聞いたか気付いていたんだろう。
アパートに帰ったら、彼の荷物がなくなっていて、鍵がポストに入っていた。
2年近く付き合って、終わりの言葉もないんだ、ってひどく落ち込んだけど、もうそれもどうでもいい。
あれから、私は誰とも付き合っていない。
仕事でも、滅多に若い人とは出会わないからね。でも、それで良かったっていう気持ちもある。
今日は、夜勤は落ち着いてはいたけど、なんとなく、まっすぐ帰りたくない気分だったので、佐藤先輩とよく行った温泉に一人で行くことにした。
まだ一人で行ったことがなかったから少し寂しかったけど、これからはこういう日もあるよね、と思いながら向かった。
夜勤は、夕方5:00~朝9:00までの2交代制で、特に仮眠の時間はないけど、交代でとる休憩時間はそれぞれ好きに過ごすから、雑誌を読む人もいれば、寝てる人もいる。私は中途半端に寝ると頭が回らなくなるので、いつもカルテ整理をしたり、委員会や係の仕事をしたり、普段やれてないことをしたりしている。夜勤が終わってもなかなか仕事モードが抜けなくて、テンションが上がっているので、クールダウンするのに、温泉はスゴく気持ちがいい、というのを佐藤先輩から教えてもらった。佐藤先輩も、私が入社するまでは一人で温泉に来てたらしい。
この温泉は、日帰り温泉で、朝早くから開いてるけど、午前中はそれほど人がいない。
いつもは佐藤先輩とほぼ貸し切りで入っていたので、今日は私一人で貸し切り状態だ。
硫黄の臭いが心地いい。
白濁していて、ぬるめで、露天風呂はずーっと入っていられるくらい気持ちがいい。
ゆっくりゆっくり、穏やかな気持ちにさせてくれる。
ぼんやりしながら、脱衣場で着替えて、髪を乾かしたら、軽くメイクをした。
今日は、街で少し買い物してから帰るつもりだったからだ。
ぼんやりした頭をもう少しシャキッとさせるために、いつものように、休憩室でコーヒーを飲もうと、入り口近くにある休憩室に向かった。
カラカラッと戸を開けると、キラキラした窓からの光と、男の人の姿が目に入ってきた。
細身で、スーツ姿。茶色い髪が光にキラキラ輝いている。まだ少し濡れているのが分かる。
頬杖をついて、目を伏せていたけど、私が入ったのに気付いて、顔をあげた。
目が合った。
こんな田舎で、若い男はみんな同じ学校出身で知り合いみたいな環境で、知らない男の人に会うことも珍しかったけど、その整った顔にドキッとした。
「……こんにちは……」
かなり小さい声になってしまったけど、かろうじて挨拶できた。
「こんにちは。」
「すみません、起こしちゃいましたね。」
ニコッと声をかけると、
「あー、もうこんな時間だ。寝過ごすところでした。ありがとうございます。」
と、彼も笑顔を返してくれて、テーブルにあったコーヒーを飲み干して、
「じゃあ。」
と、休憩室から出ていった。
私はぼんやりした頭から一瞬で目が覚めた。
パソコンに向かっていると、佐藤先輩が声をかけてくれた。
夜勤で一緒だった他のスタッフはもう更衣室に向かったのに、私がいつまでも席を立たないから、心配になったんだろう。
「301号室の方のサマリーをやれるとこまで入力しておきたいんで、あと15分であがります。」
と返事をして、またパソコンに向き直した。
「新人指導に、委員会の仕事までまわっちゃってゴメンね。後は私やるから、もうあがりなよ~。」
元々、佐藤先輩が抱えてた沢山の仕事。新人指導はほぼ一通り終わっていて、相談出来るお姉さん役として、師長との橋渡しするくらいで、そんなには困っていない。
委員会も、ずっと補佐してきてたから、引き継ぎもそれほどなかったし、夜勤の合間に書類を作れば、持ち帰るような仕事もない。
佐藤先輩は去年結婚して、最近妊娠が分かった。
ちょっとつわりがひどいほうみたいで、先月から夜勤を減らしてもらっていて、負担を減らすために、仕事を振り分けてもらった。
私は、大好きな佐藤先輩がとにかく無事に出産してくれれば、なーんにも問題ない。
でも、いつも、夜勤が一緒になったときは、帰りに温泉行ったりして、色々話をきいてもらったりしてたから、それが出来ないのがちょっと残念。
でもでも、私もいつまでも甘えていられない。
「大丈夫ですよ~!それより、先生の回診始まっちゃいますから、準備準備~。走っちゃいけないんだから、ゆっくりやってくださいねー。私も、無理せず帰りますんで。」
と、明るく追い返す。
佐藤先輩は、尊敬出来る先輩でもあるけど、気さくに話しても嫌な顔しないでいてくれるので、こんなに軽く話せちゃう。
さ、先輩が気にしちゃうから、早く終わらせちゃお。
ようやくキリのいいところまで出来たので、
「お疲れ様でした~」
と、ナースステーションのスタッフに挨拶して、更衣室に向かった。
途中、廊下で患者さんと話している佐藤先輩にペコッと頭下げながら、ニッコリ笑顔を向けると、小さくバイバイと手を振ってくれた。
あー、佐藤先輩は本当に私の癒しだ~~!
先輩がいてくれたから、今まで頑張れたと言っても過言ではない。
やっぱり、女ばかりの職場だし、小さいトラブルはたまにはある。
でも、私の働く病院は、内科と外科の一般病棟の他に、療養病棟があって、どちらかというと…というか、ほぼほとんどの患者さんがご高齢の方。ちょっと山の方にあるし、患者さんはみんな持病でしょっちゅう入退院を繰り返してる方が多い。
大きな難しい手術になると、街の大きな病院に転院になるので、割とのんびり働けるほうだ。
大きな病院はほとんど付属の看護学校や大学がついていて、私は県外の看護学校に行って、地元に戻ってきたので、入社試験はちょっぴりアウェイだった。
実家から通えるところで、入院施設がある病院は数件あるけど、入社試験のとき、私は失恋したり、体調を崩したりで、散々な精神状態で、ボロボロのまま受けた病院は、ここしか採用されなかった。
新人指導で佐藤先輩が付いてくれた入社当時は、まだちょっと引きずっていたけど、佐藤先輩が優しく、かつ、ここではやってない検査や治療も教えてくれて、私もここまで働くことができた。
県外の看護学校に通っていた頃、私には半同棲のような彼氏がいた。
1つ年下で、一緒にいてスゴく楽しかった。
でも、私は卒業したら地元に戻る約束で親から県外の学校に行かせてもらっていたので、地元の病院しか就職活動しなかった。
その話は、付き合う前からしていたことだけど、ずっとなんとかなると向き合わずにきていた。
就職活動と、実習と、論文と、資格試験と、自分のことで必死になっていた時、徐々に彼は私から気持ちが離れていたみたい。
12月末と1月始めに立て続けに就職試験があるので、クリスマス前から実家に帰省していて、さすがにクリスマスは電話しようか、と電話をかけたら、彼はでなかった。
いや、正確には、電話は繋がったけど、女の人と会ってる音声だけが聞こえてきた。
多分、浮気相手の女のほうが、決着をつけたかったんだと思う。半同棲なのに、ほったらかしにしてた私も悪いんだけど、浮気?二股?いつからか全然気付かなかった。
私が電話してくるのを待ち構えていて、かかってきてすぐに通話ボタン押したんだと思う。彼は全然気付いてなくて、楽しそうにその人と話してる声が聞こえた。
クリスマスプレゼントあげる~、って言ってるのが聞こえて、しばらくして、何も聞こえなくなった。
そこで電話を切った。それ以上は聞けなかった。
好きだったけど、予感はしていた。うちにいない日は実家にいるのかな、友達といるのかな、と思いながら、何してるのかも聞かなかった。自分のことで精一杯だった数ヶ月の記憶が押し寄せてきた。
何度振り返っても、私にはこの結果だっただろう、って諦めがついた。
でも、気持ちはやっぱり落ち込んで、次の日ひどい風邪をひいた。そこからの就職試験は散々だった。
かろうじて、今の病院は先に受けていたので、合格通知が来たときはホッとした。
他に受け直す気力もなく、とにかく資格試験に向かい、なんとか看護師免許は取得できた。
彼とは、その後一切連絡をとってない。
彼も、私が電話で何を聞いたか気付いていたんだろう。
アパートに帰ったら、彼の荷物がなくなっていて、鍵がポストに入っていた。
2年近く付き合って、終わりの言葉もないんだ、ってひどく落ち込んだけど、もうそれもどうでもいい。
あれから、私は誰とも付き合っていない。
仕事でも、滅多に若い人とは出会わないからね。でも、それで良かったっていう気持ちもある。
今日は、夜勤は落ち着いてはいたけど、なんとなく、まっすぐ帰りたくない気分だったので、佐藤先輩とよく行った温泉に一人で行くことにした。
まだ一人で行ったことがなかったから少し寂しかったけど、これからはこういう日もあるよね、と思いながら向かった。
夜勤は、夕方5:00~朝9:00までの2交代制で、特に仮眠の時間はないけど、交代でとる休憩時間はそれぞれ好きに過ごすから、雑誌を読む人もいれば、寝てる人もいる。私は中途半端に寝ると頭が回らなくなるので、いつもカルテ整理をしたり、委員会や係の仕事をしたり、普段やれてないことをしたりしている。夜勤が終わってもなかなか仕事モードが抜けなくて、テンションが上がっているので、クールダウンするのに、温泉はスゴく気持ちがいい、というのを佐藤先輩から教えてもらった。佐藤先輩も、私が入社するまでは一人で温泉に来てたらしい。
この温泉は、日帰り温泉で、朝早くから開いてるけど、午前中はそれほど人がいない。
いつもは佐藤先輩とほぼ貸し切りで入っていたので、今日は私一人で貸し切り状態だ。
硫黄の臭いが心地いい。
白濁していて、ぬるめで、露天風呂はずーっと入っていられるくらい気持ちがいい。
ゆっくりゆっくり、穏やかな気持ちにさせてくれる。
ぼんやりしながら、脱衣場で着替えて、髪を乾かしたら、軽くメイクをした。
今日は、街で少し買い物してから帰るつもりだったからだ。
ぼんやりした頭をもう少しシャキッとさせるために、いつものように、休憩室でコーヒーを飲もうと、入り口近くにある休憩室に向かった。
カラカラッと戸を開けると、キラキラした窓からの光と、男の人の姿が目に入ってきた。
細身で、スーツ姿。茶色い髪が光にキラキラ輝いている。まだ少し濡れているのが分かる。
頬杖をついて、目を伏せていたけど、私が入ったのに気付いて、顔をあげた。
目が合った。
こんな田舎で、若い男はみんな同じ学校出身で知り合いみたいな環境で、知らない男の人に会うことも珍しかったけど、その整った顔にドキッとした。
「……こんにちは……」
かなり小さい声になってしまったけど、かろうじて挨拶できた。
「こんにちは。」
「すみません、起こしちゃいましたね。」
ニコッと声をかけると、
「あー、もうこんな時間だ。寝過ごすところでした。ありがとうございます。」
と、彼も笑顔を返してくれて、テーブルにあったコーヒーを飲み干して、
「じゃあ。」
と、休憩室から出ていった。
私はぼんやりした頭から一瞬で目が覚めた。