ビターチョコ
車は、あっという間に宝月家の広い邸宅に到着した。
……いくらするんだろう。
戦々恐々とせずにはいられない壁紙やカーペットに照明。
見知ったリビングを抜ける。
ここは、仲間内で集まるときの定番の場所だ。
螺旋階段と廊下の角を何度も曲がり、扉は身軽な麗眞くんが開く。
ソファーと昭和の香りがする暖炉、暖色の照明とキャンドルライトが印象的な部屋に案内された。
何回か、このお屋敷にはお世話になっているけれど、こんな部屋に足を踏み入れるのは初めてだ。
「応接室。
食堂で話すほどじゃない、でも込み入った話をするときはここにしている。
ちなみに、理名ちゃんがいじめられるかもしれない、って行ってね。
由紀さんの娘さんの深月ちゃんが親友を集めて話をしたのも、ここ」
麗眞くんが補足してくれる。
「あの子も、ちょっとピリピリしているのよね、今の時期は。
貴女たち親友に、不遜な態度をとっていないか心配だわ。
ちょうど、今の時期から2週間くらい前の時期だったのよ。
彼女の親友が亡くなったのは。
命日ということもあって、近況を探りがてら、相沢さんに、花藤家のことを調べてもらったのよ。
そしたら、明日翔ちゃんの妹の記述を見た深月がこう言ったの。
もしかしたら、私の親友も命を狙われるかもしれない、って。」
「話して、なかったね。
中学の頃の話よ。
体育のシャトルランのとき、萌香ちゃんが過呼吸を起こした。
知識がない教師に任せると間違った処置をされそうだったから、母を電話で呼び出して指示を仰いで、救急車に同乗していた私の母に適切な処置をされて回復した。
その裏で、理名がイジメから解放される代わりに、萌香ちゃんが次のターゲットになったのね。
自分を救ってくれた人間の代わりになる、と言って。
そして、遺書に私への感謝の言葉を綴って、自ら命を絶ったのよ」
「その話を聞いたときは驚いたわ。
でも、おかげで予想がついたわ。
明日翔と萌香ちゃんの母の恨みの矛先は、私や私の母、理名に向く、って」
深月は、まだスタンガンの影響で痛むのか、応接室のソファに横になりながら言った。
「だからこそ、琥珀の父親が趣味でやってる道場の人たちとか、腕っぷしのいい使用人集めて待機してたわけ。
何があってもいいようにな。
一番行きたかったのは奈斗さんだろうがな」
「私の知り合いが卓球部に所属しております。先日、誘われて応援に行きました。
その会場で、たまたま、深月の中学時代の同級生だという男の子と知り合いました。
その子から、事の顛末は聞いています」
深月が中学の同級生の男の子、と聞いて顔を青くしていたが、まだ体調が優れないのだと気にしていなかった。
「そうなのね。
あの子も、未だに自分を責めてね。
自分がしっかりしていなかったから、明日翔ちゃんは目の前で屋上から身を投げた。
わざわざ自分の前でそうしたのは、何か恨みでもあったんじゃないか……
なんて、たまに寝ないで泣いている時があるくらいだもの」
由紀さんが語ってくれたこと。
深月の身内であり、肉親だからこそ語ることが出来る、彼女のもう1つの、弱い一面だった。
同時に、深月も、私と同じように、一生消えることのない十字架を自分に背負って、
その十字架を、自分を責めるための材料に使っているのだ。
……きっと、今も。
それは、おそらく一生癒えることはないのだろう。
「……。
違うと思います。
……うまくは言えないですけど。
恨みじゃなくて……こんな自分を助けてくれた感謝を、最期に伝えたい相手が、親友の深月、貴女だったんじゃないかな。
看護師だった私の母が言ってた言葉があるの。
人が亡くなるときは、最期だからこそ、自分が信頼している人に微笑みかけてから安らかに眠るんだ、って。
そんな母も、好きだった私の父に、最期はとびきりの笑顔を見せて、あっちの世界に逝けたんだと思うから」
私がそう言うと、深月はポロポロと大粒の涙を流した。
彼女が人前で泣くのを見るのは、これが初めてだ。
やがて、泣き疲れたのか、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。
相沢さんによって、ブランケットを身体にかけられた彼女は、相沢さんによって別室に運ばれて行った。
「貴女のそういう考え方、私は好きよ。
母親が大好きで、でも依存しているわけじゃなくて。
年相応じゃない大人びた考えをしっかり持ちながら、母の背中を追っている子。
深月から聞いた通りの印象だわ、貴女。
親友のパニック障害を見抜けなかった深月に、啖呵切って諭したことも聞いたわ。
身体は高校生だけれど、精神年齢は大学生。
いや、もう少し上かもね。
ご両親の教育の賜物ね」
そんな評価を受けたのは、初めてだ。
「ありがとうございます」
深月のお母さんを目の前にすると、なんでも話すことが出来てしまう。
たったひとりの肉親の父とどう接していけばよいか分からずに悩んでいたこと。
好意を持っている人にどうアプローチをしてよいかわからないこと。
たくさん相談して、有益なアドバイスをたくさん貰った。
「何かあったらここにある電話番号かメールアドレスに連絡をしてほしいの。
いつでも構わないわ」
私にそう言って、彼女は帰って行った。
帰り際に名刺まで頂いた。
カウンセラーに、臨床心理士。
さらに、大学の教授までしていた。
わらじ、何足履いているんだろう……
彼女が帰った後に私も帰ろうとしたが、麗眞くんに止められた。
「泊まっていけば?
いくら夏で日が長いとはいえ、夜に1人で高校生を遠い家まで帰す趣味はないから。
深月ちゃんもいるんだしさ。
椎菜なら気にするな。
今日は獣医師志望の塾の体験会があるって言って掃除サボって帰ったから」
椎菜ちゃん、獣医師志望なんだっけ。
私も、塾とか通おうかな……
結局、言われるがままに麗眞くんの家で夜を明かした。
翌日は相沢さんに、深月と2人一緒に学園まで送ってもらったのだった。
……いくらするんだろう。
戦々恐々とせずにはいられない壁紙やカーペットに照明。
見知ったリビングを抜ける。
ここは、仲間内で集まるときの定番の場所だ。
螺旋階段と廊下の角を何度も曲がり、扉は身軽な麗眞くんが開く。
ソファーと昭和の香りがする暖炉、暖色の照明とキャンドルライトが印象的な部屋に案内された。
何回か、このお屋敷にはお世話になっているけれど、こんな部屋に足を踏み入れるのは初めてだ。
「応接室。
食堂で話すほどじゃない、でも込み入った話をするときはここにしている。
ちなみに、理名ちゃんがいじめられるかもしれない、って行ってね。
由紀さんの娘さんの深月ちゃんが親友を集めて話をしたのも、ここ」
麗眞くんが補足してくれる。
「あの子も、ちょっとピリピリしているのよね、今の時期は。
貴女たち親友に、不遜な態度をとっていないか心配だわ。
ちょうど、今の時期から2週間くらい前の時期だったのよ。
彼女の親友が亡くなったのは。
命日ということもあって、近況を探りがてら、相沢さんに、花藤家のことを調べてもらったのよ。
そしたら、明日翔ちゃんの妹の記述を見た深月がこう言ったの。
もしかしたら、私の親友も命を狙われるかもしれない、って。」
「話して、なかったね。
中学の頃の話よ。
体育のシャトルランのとき、萌香ちゃんが過呼吸を起こした。
知識がない教師に任せると間違った処置をされそうだったから、母を電話で呼び出して指示を仰いで、救急車に同乗していた私の母に適切な処置をされて回復した。
その裏で、理名がイジメから解放される代わりに、萌香ちゃんが次のターゲットになったのね。
自分を救ってくれた人間の代わりになる、と言って。
そして、遺書に私への感謝の言葉を綴って、自ら命を絶ったのよ」
「その話を聞いたときは驚いたわ。
でも、おかげで予想がついたわ。
明日翔と萌香ちゃんの母の恨みの矛先は、私や私の母、理名に向く、って」
深月は、まだスタンガンの影響で痛むのか、応接室のソファに横になりながら言った。
「だからこそ、琥珀の父親が趣味でやってる道場の人たちとか、腕っぷしのいい使用人集めて待機してたわけ。
何があってもいいようにな。
一番行きたかったのは奈斗さんだろうがな」
「私の知り合いが卓球部に所属しております。先日、誘われて応援に行きました。
その会場で、たまたま、深月の中学時代の同級生だという男の子と知り合いました。
その子から、事の顛末は聞いています」
深月が中学の同級生の男の子、と聞いて顔を青くしていたが、まだ体調が優れないのだと気にしていなかった。
「そうなのね。
あの子も、未だに自分を責めてね。
自分がしっかりしていなかったから、明日翔ちゃんは目の前で屋上から身を投げた。
わざわざ自分の前でそうしたのは、何か恨みでもあったんじゃないか……
なんて、たまに寝ないで泣いている時があるくらいだもの」
由紀さんが語ってくれたこと。
深月の身内であり、肉親だからこそ語ることが出来る、彼女のもう1つの、弱い一面だった。
同時に、深月も、私と同じように、一生消えることのない十字架を自分に背負って、
その十字架を、自分を責めるための材料に使っているのだ。
……きっと、今も。
それは、おそらく一生癒えることはないのだろう。
「……。
違うと思います。
……うまくは言えないですけど。
恨みじゃなくて……こんな自分を助けてくれた感謝を、最期に伝えたい相手が、親友の深月、貴女だったんじゃないかな。
看護師だった私の母が言ってた言葉があるの。
人が亡くなるときは、最期だからこそ、自分が信頼している人に微笑みかけてから安らかに眠るんだ、って。
そんな母も、好きだった私の父に、最期はとびきりの笑顔を見せて、あっちの世界に逝けたんだと思うから」
私がそう言うと、深月はポロポロと大粒の涙を流した。
彼女が人前で泣くのを見るのは、これが初めてだ。
やがて、泣き疲れたのか、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。
相沢さんによって、ブランケットを身体にかけられた彼女は、相沢さんによって別室に運ばれて行った。
「貴女のそういう考え方、私は好きよ。
母親が大好きで、でも依存しているわけじゃなくて。
年相応じゃない大人びた考えをしっかり持ちながら、母の背中を追っている子。
深月から聞いた通りの印象だわ、貴女。
親友のパニック障害を見抜けなかった深月に、啖呵切って諭したことも聞いたわ。
身体は高校生だけれど、精神年齢は大学生。
いや、もう少し上かもね。
ご両親の教育の賜物ね」
そんな評価を受けたのは、初めてだ。
「ありがとうございます」
深月のお母さんを目の前にすると、なんでも話すことが出来てしまう。
たったひとりの肉親の父とどう接していけばよいか分からずに悩んでいたこと。
好意を持っている人にどうアプローチをしてよいかわからないこと。
たくさん相談して、有益なアドバイスをたくさん貰った。
「何かあったらここにある電話番号かメールアドレスに連絡をしてほしいの。
いつでも構わないわ」
私にそう言って、彼女は帰って行った。
帰り際に名刺まで頂いた。
カウンセラーに、臨床心理士。
さらに、大学の教授までしていた。
わらじ、何足履いているんだろう……
彼女が帰った後に私も帰ろうとしたが、麗眞くんに止められた。
「泊まっていけば?
いくら夏で日が長いとはいえ、夜に1人で高校生を遠い家まで帰す趣味はないから。
深月ちゃんもいるんだしさ。
椎菜なら気にするな。
今日は獣医師志望の塾の体験会があるって言って掃除サボって帰ったから」
椎菜ちゃん、獣医師志望なんだっけ。
私も、塾とか通おうかな……
結局、言われるがままに麗眞くんの家で夜を明かした。
翌日は相沢さんに、深月と2人一緒に学園まで送ってもらったのだった。