ビターチョコ
疲れたのか、背中の柱に力なくもたれかかっている父を発見した。
声を掛ける。
風邪を引かれては困る。

「今日は徹夜じゃないんだ。
大丈夫?
ほら、お父さんの分の傘持ってきたよ?
帰ろう」

「ああ、帰るか。
理名、やっぱり母さんにそっくりだな。
母さんも、まだ付き合ってた頃、こうやって傘持って来てくれたことがよくあったんだ」

「……言うの遅いよ。
お父さんのバカ」

あの、葬儀の後の、私の問いかけの後に、今の台詞を言ってくれていたのなら。
きっと私は、ここまで父に不信感を持つことも嫌いになることもなかった。
今でも普通に、話すことが出来ていたはずなのに。


そういえば、母が亡くなったあの日も、こんな雨の降りしきる中の、お別れだった。

傘をさしていても叩きつけてきたから、
終わり際には、頬を伝うものが、雨なのか涙なのか分からなくなっているくらいだった。

人間の体内にあるという約60パーセントの水分が全て涙となって出ていってしまっていると錯覚するくらい、泣いた。
あの日は、それで心地よかった。
思い切り、泣くことができたから。

なんで今更、そんな話をしてくるの。
……反則。

のんきな父親は、きっと、分かっていない。
娘が父に反抗的な態度をとる理由を。
かといって、こんな場所で洗いざらいぶちまけるほど、子供じゃない。
外に出た時に、傘の中に入って雨に混じって少しだけ泣こう。
それで満足。

そう思った。



ふいに父親が、自動販売機の方に足を向けた。
ブラックコーヒーの缶を片手に2本持って戻ってくる。
もう1本の方は、私の分らしい。

「そっくりだ。
ブラックコーヒーが好きなとこも」

「そうだったの?」

「ああ。
ガムシロップも砂糖もミルクも入れないのが好きだった」

父から、母親の話を聞くのはこれが初めてだった。
ほんのり顔が赤いのは、当時を思い出しているのだろうか。
16年生きてきて、父のこんな顔を見たのも初めてだった。
自然に、私も笑顔になったのが分かった。

「お父さん、無理しないでよ?
お父さんにまで何かあったら、独りぼっちになっちゃうし。
お父さんが仕事辛いなら、私も高校に慣れたらバイトするし」

こんな言葉が出てきたのも、父が、娘の私に向かって、母の話をしてくれたからだろう。
今初めて、ちゃんとした親子になることが出来た気がして嬉しかった。

「わかってる。
長生きの家系だし、俺の心配は大丈夫だよ。
理名の可愛いウェディングドレス姿見るまではあっち行けないよ」

「もう。
わかってるよ。
今は相手なんていないけど」

見るつもりなのか。
友達だって、高校生になってからきちんとした付き合いが出来るようになったのに。

「恋人」というのは、まだ早い気がした。
でも、憧れはある。
そりゃそうだ。
間近で、あんなにイチャイチャを毎日のように見せられて、「恋愛」や「恋人」を意識しないほうが、それこそどうかしている。

いつか、私も、あんな風になりたい。
「恋愛」なんて単語とは縁遠い、勉強漬けの中学生だったからこそ、憧れがあるのだろうか。

 
……いつか、それとなく。
椎菜ちゃんか深月ちゃんに、聞いてみようと決心した。
あくまでも自然に。

「ねぇ、私って、どういう男の人が隣にいたら恋人らしく見える?

とか言えば、真剣に考えてくれるだろうか。
いや、ここはあえて、男の子側の意見を聞くべく、麗眞くんに聞こうか。

いいや、却下だ。
なんて言われるか、とっても怖い。

それに、変に椎菜ちゃんに妬かれるのも、想像しただけで恐ろしい。

そんなことを考えながら、缶コーヒーを飲み干し、くずかごに捨てる。


雨のせいか、人通りがまばらな夜道を、2人で1つずつの傘をさして、並んで歩く。

「お前も俺と母さんの子だ。
きっといい人が現れるさ」

……こんなふうに父親と言葉を交わすのは、久しぶりな気がした。
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