ビターチョコ
凛先生も止めなかった。
助かります、とだけ言って、ベッドの傍らの椅子に腰掛けた蓮太郎さん。

こうやってじっくり会話をするのは初めてのことだった。

「全く、自分の息子から聞いていながら、情けないな。
自分の学園の生徒を。
こんな目に遭わせるなんて」

「あの。
お言葉ですが私、貴方の卑下やら懺悔を聞くためにここにいるんじゃないんですけど。

それ以上続けるなら、帰ってもらいますよ?
邪魔です」

カチャ。

またドアが開いて、見覚えのある女性が入ってきた。

確か、宿泊オリエンテーションの前に、麗眞くんの家に泊まらせてもらった時に、食堂近くで会った人だ。

わざとなのか、ファッションなのかはわからないが、髪色が晴れた青空と曇り空の中間のような髪色の女性。

「相変わらずね。
蓮太郎に物怖じせずものを言えるところ、気に入ったわ。
初めましての時もそうだったけどね」

「裁判終わったわけ?
来るなんて聞いてないけど、メイ」

「何よ、来ちゃ悪いわけ?
もうとっくに終わったわよ。

こういうデリケートな、話すのにも精神力を使うような話題は、あまり面識のない人がいた方が話しやすいから来たまでよ」

細かい気遣いが出来るところは、さすがに麗眞くんの母親なだけはある。

「改めて、よろしくお願いします。
麗眞くんには、いつも本当にお世話になっています」

「大丈夫?

理名ちゃんに言い寄ったりはしてないよね?
ったく、八方美人すぎてチャラいって思われるんだよな、アイツ。

誰にでも優しくするんだもん。

自分で自分をこじらせ男子にしてどうするんだよ。
大事な彼女の椎菜ちゃんにだけ、とびっきり優しくしろよな。
ったく」

「仕方ないじゃない。
他でもない、蓮太郎。
貴方の遺伝子を強く引きすぎたのよ」

確かに、完全に麗眞くんは父親である蓮太郎さん似だ。

「あの、お二人とも。
そんな話をしに、ここに来たわけじゃないですよね」

「あ、そうだったわ。

全く、蓮太郎が余計な話をするからよ。

空気読みなさいな。

辛いでしょうけど、話をしてほしいの。
麗眞から全部を聞いているわけじゃないし」

「だな。
俺からも、お願いするよ。
辛い記憶を蒸し返させることになって、申し訳ないけど」

私は、意を決して全てを話した。
この人達なら口も堅そうだ。

彼らの子供が、私の知り合いなのだ。
話が伝わったとしても何ら支障はない。
むしろ、伝わったほうがいい。

宿泊オリエンテーションの当日、電車で出会った男の子に一目惚れしたこと。

その子と仲良くなった出来事のこと。
お食事デートもしたこと。

私が体調を崩したことを知ってわざわざ、私のいる学園まで押し掛けて来たこと。

それが他の女子生徒にとってはショックだったのだろう、この翌日からいじめが始まったということ。

「これで、全部です……」

話したことで、エネルギーを使ったらしい。
脳の奥に浮かぶのは、今日の病院食のこと。
いけない。
今は、麗眞くんのご両親の話に集中しなければならない。

「勝手に申し訳ないけれど、調べさせてもらったわ。
理名ちゃん、貴女のことを。

……中学校のときも、いじめにはあった。
その時は、保健室登校をしていたのね。

いじめがなくなったきっかけ、それは、体育の授業の最中、生徒の1人が過呼吸を起こしたこと。
中学生では何の知識もない、ましてや体育の先生でも、間違った知識による処置をされるかもしれない。


そう思った貴女は、先生の携帯電話から、空で覚えている、自分の母親が勤務する病院の番号をコールした。

そして偶然、電話口で応対したのが自分の母だった。

そして、これ幸いと、指示に従わせた。
その手腕が、中学生にしてはありえないくらいの、スピーディーな対応だった。

だからこそ、逆に皆の羨望を集めた。
いじめはぱたりと止んだそうね。

まぁ、過呼吸になったのは、いじめの主犯と一番繋がりが強かった生徒。

自分を助けてくれた人をいじめることは出来ない。
その人が次のターゲットとなって、他のいじめていた人たちに働きかけたからではあるみたいだけれど」

いじめの主犯は、転校した。
そして、私も保健室登校をする必要はなくなった。
高校受験でピリピリし始めたこともあって、何とかやっていくことが出来た。

私はそんなこと、全く知らなかった。
主犯格の人間は、自主的にいじめを止めてくれたものとばかり思っていたのだ。


「ちなみに、その、当時いじめの主犯格だった生徒、同じ高校みたいなんだ。

この病室のテーブルの上に調査データが載っている、君の想い人の元カノさんとね。

詳細は、麗眞の執事の相沢さんや、彩の執事の藤原さんに今、調べてもらっているところだけど」

ここで意味深に言葉を切った麗眞くんのお父さん。

「それから、俺の知り合いのツテを使って学校のパソコン教室のパソコンをハッキングしてもらったんだ。
厄介なことに、学校の裏サイトやら掲示板が作られていた。

理名ちゃん、君の悪口がこれでもかというほど書き連ねられていたようだよ。

万が一にも、そこで、理名ちゃんがいる高校と拓実くんがいる高校の生徒が繋がりをもったらと思うと。

本当に、君の身が危ないくらいになる。
そうなる前に、何とかして阻止したいんだ」

いやいや、そう言われても困る。

携帯電話なんて、メールと電話さえできれば用が足りると思っている私は、それ以外の機能をまともに使ったことがない。

「まぁ、そこは、蓮太郎が何とかしてくれるから安心して?

理名ちゃんは、いじめをされたらその証拠として日記を書いたり、壊されたり失くされたりしたものがあれば写真に撮っておいてくれればいいの。

私立高校はこういうことがあっても教育委員会に報告したりする義務はないのだけれど、蓮太郎が理事長のところは違う。

『公立高校っぽさをどことなく残してある私立高校』だからね。

そういうところは、ちゃんとしてるのよ。
だから、よろしくね」

それを言いたかったらしい。

「じゃあ、辛いだろうけど頑張ってね?
何かあったら、逐一、麗眞に報告してくれればいいから。
じゃあ、またね?」

蓮太郎さんとその奥さんらしき女性は病室を出て行った。

何とか、味の薄い病院食を食べ終え、携帯電話が使えるスペースに行って、携帯電話を開いてみる。

すると、未読メールが100通を超えていた。
開いてみると、

「バカ」
「死ね」
「病院からの帰り道、気をつけてね」
「あ、家の中でも気をつけてね」

幼稚な言葉での悪口のオンパレードだ。
もう高校生なんだから、もう少しマシな語彙を使うべきだと思う……。

しかし、いくつかのメールの送信者欄には、碧や深月、華恋や美冬の名前があった。

目の前が真っ暗になりかけたが、未読になっているメッセージに気がつく。

差出人は深月からだった。

「理名
大丈夫?
全く、アイツら、私や華恋、美冬の名前で理名の携帯に悪口メール送ってるみたいなの!

惑わされないでね?
じゃ、退院のときに、また病院行くから!

深月」

惑わされるわけがないじゃないか。

こんなに素敵な言葉を掛けてくれる人たちが、私の親友なのだ。
あんな言葉しか語彙がない人達とは違う。


病室に戻って、携帯電話の電源を切って、ベッドの上で目を閉じた。


……。

「懲りないんだから」

「アイツだけいじめるんじゃ、効果ないよ」

掲示板の書き込みを、私以外の誰かが見たらしい。

さながら昔の連絡網みたいに、私の親友たちには連絡が回っているらしい。

「周囲に気をつけて行動すること!
なお、単独行動は狙われやすいため、避けるように」

との文言。

私はもちろんだが、気を張っている私の親友たちも、少なからずストレスがかかってきているようだった。

ストレスで喘息の発作が発現しやすくなった碧は、保健室にて休むことが多くなったらしい。

私は、必死だった。
このままだと、皆にストレスがかかる。
早く、こんな日々から解放させてやらなければいけない。

ちょうどそう思っていた時期、ご丁寧に、全クラスの黒板に、私の電話番号とメールアドレスが書かれているのを発見した。

案の定、迷惑メールやら電話の嵐。
着信音が鳴り響くので、授業中は電源を切ることにする。
そもそも、携帯電話をいじる時間なんてないのだ。

メールのほとんどが、
「まじドンマイ」
「このいじめ止めてほしければ、身体を売れよな」

そんなもの。

しかし、一通だけ。

『友達としても付き合うのは金輪際止めようか』

……そんな文面。

頭が真っ白になった。
今日の授業の内容が、全て頭から消えてしまいそうだった。
その文面は、拓実くんからだったから。

そして、放課後に、一通の電話がきた。
番号は非通知。
知らない女の声。
だけど、口調は攻撃的だった。

『拓実にまとわりつくの、ウザいんだけど!
ノッポでガリ勉のくせに。
止めてくれる?

止めたら、アンタの高校の奴らに言ってあげるよ、こういうのやめようって。

あ、ほんとだから。

嘘なんて言わないしさっきのあのメール、相当応えたみたいだしね?
マジウケるわ。

元カノではあったからね、知ってるのよ。
今でも脳が番号もアドレスも覚えてるもの』

月野 纏に違いない。
嫌な女だ。

「そこまで言うなら、勝手にすれば?
こっちは拓実くんとはもう連絡取らないようにするから!」

私の大事な親友たちの戸惑う表情なんて無視して、掃除当番のことなんて忘れて教室を飛び出した。

帰り道、路地裏に引きずりこまれる。
そこには、写真でしか見たことない顔の女が立っていた。

「やっと面拝めたわ。
その眼鏡。
勉強できますアピール?
イラつくのよ」

声は、先程の電話口の主だった。


逃げなきゃ。
そう思うのに、身体が言うことをきかない。
凍り付いたように、動いてはくれなかった。

月野 纏の周りにいつの間にかいた、4人の男たち。

彼らが皆、手にはスタンガンやら、鉄パイプやら、バットやら、物騒なものを持って、不敵な面構えをしていたからだ。

金縛りにあったみたいだった。

 
身体をゆさゆさ、何度も強く揺さぶられる。視界には、私の顔を覗き込む凛さんの顔がある。

また、しょうもない結末の夢を見ていたと気がついたことは、幸いだった。
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