ビターチョコ
夏休みは、あっという間に終わった。
残りの1ヵ月弱は、課題に追われていた。

親友同士で、得意な教科は教え合い、お互いに協力して課題を終わらせたのは、
良い思い出だ。

夏休み明けは、課題の範囲に準じた現代文・数学・英語の試験がいきなり実施された。

その試験の結果は、定期試験ほどではないがよかった。

深月も椎菜もいないので、帰ろうとした。
今日は、花藤家に行かなければならない。

教室を出ようとした、矢先のことだった。

貧血による眩暈か。
美冬の身体がゆっくり、しかし確実によろめいたからだった。

華恋と、美冬の彼氏の小野寺くんが慌てて支えた。

私は、とっさに2人によって支えられている深月の下まぶたの結膜や爪の下の皮膚に赤みがあるかをチェックした。

どちらも白く、赤みはほぼなかった。

「2人で保健室に運んで、嘔吐するようなら横にさせて。

少しの光や音も刺激になるから、昇降口のベンチじゃダメ。

そして、なるべくなら伊藤先生に言って病院まで送ってもらった方がいい。

氷とか、特定のものばかり欲しがるのは鉄欠乏性貧血の症状の1つだから。

血液内科の先生なら、流生総合病院に私の母の知り合いがいる。

私の名前を出せば大丈夫」

そう言って、病院の名前と連絡先を手帳の切れ端に書いて渡した後、後ろ髪を引かれるのを振り切り、学校を出た。

貧血を処置出来る手腕は、私にはない。


夏休みの課題を深月や美冬と片付けていた時のことを思い出す。

ファーストフード店でハンバーガーやポテト、飲み物を買い込んで、私の家で勉強していたのだった。

その際、暑いから氷が欲しくなると言って、美冬は何度も氷を食べていたのだ。

その時に、気付いていればよかったのだ。

身体が成長する時期は、体内の鉄分が大量に使われるため、鉄欠乏性貧血になりやすい。
女性は生理で大量の鉄分が失われる。

知識として知ってはいた。
それがとっさに出てこないところが、まだ未熟なのだ。

何回も電車を乗り継いで、花藤家に到着した。

「おじゃまします……」

花藤家のドアを開けると、玄関には人が横たわっていた。
しかも、さっきまで見ていた顔だ。

「み、深月!?
何で……!」

「あら、理名ちゃんじゃない。
大丈夫。
いくらなんでも牢獄に入るのは嫌だからね。
深月ちゃんには、スタンガンで眠ってもらっているだけ。」

花藤 香澄(はなふじかすみ)
萌香と、明日翔の母親が玄関先で出迎えてくれた。
しかし、その目は据わっている。

……ヤバい。
そう思った時が、遅かった。

「これ以上、一歩も動かないで。
動いたら、刺すわよ」

エプロンのポケットにでも忍ばせていたのだろうか。
ペティナイフの刃先が、私がかつて怪我をした肋骨辺りに向いている。

「いじめに遭ったそうね。
いい気味だわ。
ウチの子も、天国で貴女のことを嘲笑っているわよ」

……機能不全家族。
一度、社会科か道徳だかの教科書で見たことがある言葉が、脳裏をよぎった。

花藤家の大黒柱、つまり萌香と明日翔の父親。彼はもう、この世にはいない。

無理心中に失敗し、結局自ら線路に身を投げて自殺したからだ。

もう、花藤家を預かるのはこの香澄しかいないのだ。

宝月興信所から情報は得ている。

玄関のドアは既に閉まっている。
助けを呼ぼうにも無理だった。

「天国に行ったら、また、あの子と仲良くしてあげてね?」

私を見る目が、氷のように冷たかった。

拓実くんの元カノが連れていた男たちに囲まれたときと同じように。
逃げなければと思うのに、逃げられなかった。

誰か助けて……!

念を押すように目を瞑った、その時だった。

予想していた痛みも、温かい血の感触もなかった。

私の前に、男の人が立っていた。

「おや、私が仕える主の友人と遊んでいただいたようで、光栄です」

よく見る顔。
麗眞くんの執事の相沢さんだ。

「あぶねー。
大丈夫かよ、理名ちゃん。
深月ちゃんも」

床にへたり込んだ私の手を引いて助け起こしてくれた。

「香澄さん、カウンセリングの時間ですよ?
って、深月!?
深月、どうしたの?」

目が覚めた深月は、お母さん!と声を発した。

この人、深月の母親なの?
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