「竹の春、竹の秋」

3.

 中学生になっても薫はやはり彼のことが好きだった。中学はいくつかの学区の小学校が合流するので生徒数が多く、学年が違うとなかなか会う事もなかった。休み時間や教室移動でごくたまに彼とすれ違うことがあっても、彼は「スギ」に気づくことはなかった。彼は中学校を卒業して高専へ行った。薫は普通高校へ進学した。中学を卒業してから一度だけ、駅で彼を見かけたことがあった。背も髪型も小学校の頃とも中学校の頃ともすっかり変わっていたけれどすぐに分かった。彼が誰かに向けた笑顔が同じだったからだ。「大丈夫?」と心配そうにたずねて、それから薫の返事を聞いたときのあの笑顔と同じだった。ランドセルを背負って通学路の先に待つ「スギ」に見せた笑顔、真っ白な運動着で入場門から手を振ったときの笑顔。

 薫の「初体験」は、高校二年生の時で、相手は予備校のチューターだった。擬似恋愛の先に存在した初体験というのはゲイにしては順当というより出来すぎなくらいだと思う。半年ほど付き合って、お互い薫の受験を言い訳にして別れてそれきりになった。

思えば、恋愛らしい恋愛をしていない。大学で恋人を作るには候補が少なすぎたし、だいたいはいわゆるゲイの集まるようなバーで知り合って「まぁ、いいかな」と思えば夜を共にし、それきりになることもあれば、その先何度か会ったりすることもあった。でも、大概長くは続かない。そういうものだと思っていた。たとえばこの世の中の半数以上である男女の恋人同士であったとしても、生涯のパートナーになりたいと思える相手に出逢い添い遂げるのは難しいと誰でも知っている。それなのに、セクシュアリティ・マイノリティである自分が「添い遂げる」パートナーはおろか、「添い遂げたい」と思えるパートナーに出会える確率だって少ないはずだと信じるには十分だ。せめて一時でも、分かり合えた気になって肌を温める相手がいるなら幸せだし、お互いを傷つけることすらなく肌を温める相手がいるとしたらそれも幸せな方だろうと思う。

 それでも恋愛らしきものをぜんぜんしなかった訳ではない。何度か肌を重ねれば情もわいて、映画を見に行ったり買い物に一緒に行ったり、幾度かは家を行き来する間柄になった男だっていた。でもそれらは「恋」と呼ぶにはあまりにもどこか擦れきっていた。あるいは、薫は、それらを「恋」と呼ぶほどには擦れていなかったのかもしれない。どちらにしろ、薫が思う「恋」と呼んでしかるべきものでは、なかった。
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