「竹の春、竹の秋」

9.

 羨ましかった。妬ましかった。
 タクミにあんなふうに想われている相手が。
 そして、あんなふうに誰かを愛することができるタクミのことが。
 タクミが誰かと結婚しようとしているのを知ったとき、薫は裏切られたような気がした。タクミには、逃げて欲しくなかった。辛くても、報われなくても、誰かを傷つけても、そうやって生きていることで自分自身を傷つけながら抱えている恋心に翻弄されている彼のことが羨ましく妬ましかったのに。
 人は誰かをそこまで愛することができると、彼にそれを証明して欲しかったのだ。

 「駄目だ。そんなに簡単に諦めたりしたら、駄目だ」

 それでも、諦めるなと励ます気持ちの一方で、「そうさ、そんな辛い恋を続けられる訳がない」と思う薫がいた。矛盾する気持ちが振り子のように揺れる。
 タクミの瞳が薫を探るように見つめていた。敵意を湛えていた瞳が凪いで行くのが分かった。

 タクミは諦めないだろう。その男を想い続けて行くだろう。痛くても苦しくてもきっと。
 いつかまた、その恋が彼をひどく苛むとき、自分はまた彼の縋る場所になれるのだろうか。
 薫は胸ポケットを探った。携帯電話の番号を書き付けてテーブルを滑らせる。

 タクミはじっとその様子を見ていた。名刺を置いた手を所在無く握り締める。タクミの視線を振り切るように。
 
 「もしも」
 息を呑むように、タクミが言った。
 「次にカオルと寝ることがあるなら──」

 (言わないでくれ)

 「その時は、誰かの代わりなんかじゃなくて」

 (きっと、)

 「ちゃんとカオルを抱きたい」

 (あなたならそう言うと思ってた)

 零れ落ちそうだ。目の縁を拭うと、人差し指が少し濡れた。眼鏡のツルに押し上げられた耳の上の髪をそっと直して、薫は小さく笑った。
 (やっぱり、この男は。)

 「バカだなあ・・・」

 タクミの目が、薫の線をなぞっている。髪、肩、腕、足、膝・・・・。想いの在り処を辿っているのだろうか。そして、薫も自分の想い在り処を確かめるように尋ねた。

 「似ている?」

 タクミは優しく目を細めた。
 「うん」
 穏やかな声が答える。
 
 これでいい、と薫は思った。








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