「竹の春、竹の秋」

3.

 薫は椅子ごとくるりと男を向いて手を膝の上に乗せた。無言でありながらも「どうぞ」と男に自分を値踏みさせるように大人しくしばらくそうして、それから、沈黙に耐えかねて「立とうか?」と椅子を降りようとすると、男はぷっと吹き出して
 「ごめん」
 と謝った。
 「ごめん。」
 と彼はもう一度謝った。こんどは真剣な顔をしていた。
 「知っている人に、少し似てるような気がしたから。」
 「口説き文句としては常套句だけど── 口説いているようには聞こえないね。」
 薫は椅子に深く腰掛けなおしてくるんとカウンターに向きなおり、こくりとグラスを煽った。男がまだ薫の横顔を見つめているのが分かったが、薫は男を見なかった。その男の眉間から皺がなくなったならそれで十分だという気がした。それから敢えて考えないようにする。「自分は魅力的に見えるだろうか、誰かに似ている、というその男が魅力的であるように。」と。

 「口説いてみようかな。」
 と、男は薫から目を逸らして言った。
 「・・・え?」
 思いもしなかった言葉に振り向くと、男は、グラスを目元まで掲げて、グラスの中に何かを見つけようとしているような表情をしていた。物欲しげには見えなかった彼が言った言葉はあまりにも唐突で、それでいて、ひどく艶っぽく響いた。
 男の横顔を見つめていると、彼もこちらを見た。彼の目線は、薫の目を、鼻を、唇を、頬を、首を這って、再び薫の目に戻った。凍ったような微笑を浮かべて、その目は(キミヲ、待ッテタ)と言ったような気がした。



< 3 / 21 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop