「竹の春、竹の秋」

4.

 この男は魅力的だ。貌が整っていて綺麗だ、というような美男子ではないが、雰囲気があった。意志の強そうな目元。それでいて、どこか「いい加減」そうな物腰。当たり障りがなく、つかみどころがないのに、存在感があった。この男がよくこの店に出入りしてた頃にも、彼に一方的な想いを寄せていた男が「彼っていいよね」という程度の輩も合わせて少なからずいたのを薫は知っている。

 でも、この男がいま口にしたように、実際に彼に口説かれるとして、その幸運にすぐさま浮かれるほど薫はおめでたくはなかった。というよりも、めでたいと思われたくなかった、と言うほうが正確かもしれない。

 「口説いてみようって思ってくれるなら、少し話をしよう?あなたのこと、もっと話してよ。」
 薫ができるだけなんでもない顔でそう言うと、男はふふんと笑って
 「人に話せるようなことなんて、何もない、どこにでもいるただの男だよ。」
 と吐き捨てるように言った。彼をよく知っているわけではないけれど、男のその自嘲的な響きは薫の知る限りの彼には似つかわしくなかった。薫は少し眉を寄せてそれから意識的に笑顔を作って男に尋ねる。
 「たとえば── どこにでもいるって言うのは、たとえば、どんな男なの?」
 男はロックグラスを揺らしてから口に寄せて、からんとひとつ氷を含んだ。ごりりと音を立てて噛んで喉を鳴らして飲み込んだ後、のんびりと言う。
 「代えなんていくらでもいる男。何も作り出せない、遣り甲斐を喪いかけた、仕事に行き詰った男。恋愛運に見放されている男。
それから、そうだな、今夜、君を抱いてみたいと思っている男。」
 男はまたひとつ氷を口に含んでごりりりりと、噛んだ。
 「抱いてみたい…?」
 薫は小さな声で繰り返す。
 「ほんとは、」
 低い声で男は言った。
 「誰でもいいんだよ。だけど、君は適役。」
 伏せた瞳に映っているロックグラスの氷が反射しているのだろうか。彼の瞳は濡れたように光っている。
 「俺が適役?どうして?」
 「どうして・・・。そう、君が──どんな風にやらしい声を出すのか、とか、どんな風に仰け反るだろうか、とか──僕が、君を抱いたら…めちゃくちゃにしたら…」
 この男は、泣いているのだろうか。薫は彼の持っているロックグラスを手にとり、カウンターに置いた。彼の手はグラスを放してそのままそっと、薫の手を追いかけた。
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