「竹の春、竹の秋」

5.

 でも多分、その手は薫の手を追いかけたのではなくて、その手が重力に負ける方向に薫の手があっただけだ。男の大きな手の下で薫は手を動かせずにいた。男の手は少し震えているようだった。震えている。男の肩も、額を押さえている左手も、そこからこぼれている前髪も。薫はそっと手を返して、静かに彼の指に自分の指を絡めた。「泣いているの?大丈夫?」と言葉にしないで、ただ、少し力をこめてきゅっと握ると、彼の手もそれに答えるように少し握られた。それから、男は額から左手を離して、カウンターの上にこぶしを乗せた。長い前髪の下から薫を見て微笑んだ。そのまつげはやはり濡れているように見えた。

 「名前は?」
 と、男が尋ねた。
 「カオル」
 「カオルくん」
 「薫、でいいよ。」
 「・・・カオル」
 「あなたは?」
 「タクミ」
 「タクミくん」
 「うん。」

 幼げな会話にふと笑顔を零した薫をタクミは不思議そうに見た。薫はもう一度はっきりと微笑んで、絡めた手と反対の手を重ねてタクミの手の甲を撫でた。タクミはほんの一瞬だけ、手に力をこめてそれからまた力を抜いてされるがままになった。自分の手を撫でる薫の手をじっと見つめていた。

 薫は撫でていた手を止めて、タクミを見据えると言った。
 「ねえ、口説いて?」
 タクミは少し眉を顰めて、薫の表情を探っているようだった。
 「君を、口説く・・・・?」
 タクミは、「…口説く…」と、もう一度小さくそう言って、どこか、薫の向こう側を見ているような目をした。
 
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