シンデレラは硝子の靴を
誰も居なくなった駐車場から、エレベーターホールまでの道のりを一人歩きながら。





「百合…?」





沙耶の記憶が、遠い香りを引き連れて、何もない今夜の空気を染める。





あの日金木犀とは別に香った、甘い香り。




―『さぁちゃん、こんなところで何やってるの?』




驚いて訊ねる男の子の手に握られた、百合の花。




―『あんたこそ、何してるのよ―』




ぶっきらぼうに訊き返した沙耶に、男の子は泣きそうに笑った。




―『お母さんが、死んじゃったから、お別れしたんだよ』




黒いスーツは、小さいのによく出来ていて、白い百合の花を映えさせた。





―『そうなんだ。じゃ、あんたも泣けば良いよ。』





当然のように勧めた沙耶に、男の子は首を大きく振った。




―『駄目だよ。僕は男だから。それに泣いたって、何にもならない。何も戻らない。』




悲しげなのに、男の子が無理して笑うから。



苦しくて、辛そうなのに、涙を堪えるから。





だから。



だから、沙耶は言ったのだ。




確か。




―『ここには誰も居ないから、泣いたって誰も見てないよ』




と。




それは、いつもそうしてくれている彼に対する、沙耶なりの恩返しだった。


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