ワタシ的、悪戯と代償
予想外の声が聞こえた。
いつも私がこの部屋を出るとき、先生は片手を挙げるだけで、特にこれといった会話はないのだ。
先生はゆっくりと椅子から立ち上がると、デスクの間を縫うようにこちらへ歩いてくる。
そして私のところへたどり着くと、私よりも十五センチは高いであろうその位置から見下ろした。
「先生、何かありましたか?」
「そうだね。」
目はお互いに反らさなかった。沈黙が数秒間続く。
そして、先生はいつものゆったりとした声で言った。
「……煽られた、かな。」
小さくそう呟くと、先生の左手が私の頭に触れた。
かと思えばそのまま力を加えられ、先生の方へ引き寄せられる。
力を入れていない私の体は、簡単に動いた。
子ども同士がキスをするような、この部屋には似合わない音が響いた。
驚きで目を見開いている私を、先生はまたあの笑い方で笑う。
それは何とも満足そうな笑みだった。
「さぁ、暗くなるから、早く帰りなさい。」
「……はい。」
頭に添えられた左手は、もう無かった。先生を見ると、もうすでに私に背を向けて、デスクの方へ向かっていた。
そのあっさりとした態度に拍子抜けして、私は部屋を出た。
冷たい廊下を歩く。窓の外はもう暗くなっていた。それを見ながら、太陽が沈むのが早くなったな、と思う。
触れられた唇に手を持っていく。
あんな風に触れられたのは初めてだった。
煽られた、とはどういう意味だろう、と考えようとしたが、今は何も考えられそうになかった。
ちょっとした悪戯を、まさかあんな風に返されるとは思わなかった。だけど、ちょっと特をした気分だ。
外は真っ暗だ。早く帰らなくてはまた心配される。
すこし足早に階段をかけ下りる。
「……こんなことになるなら、しっかりリップクリームを塗っておくべきだったわ。」
手はまだ唇に触れたままそう呟いた声は、誰もいない廊下に響き、消えた。
Fin.