狂気の王と永遠の愛(接吻)を 【第一部 センスイ編収録版】
XXXⅧ―ⅸ 花の髪飾りと青年の記憶
―――日が昇り始めた頃…
少女は桜色の可愛らしい衣に着替え、中庭へと急いだ。
穏やかな風が通りぬけ、優しい花の香りがあたりを包んでいる。
私はいち早く彼女の姿を見つけ、声をかけようと口を開いた。
『―――…っ』
しかし…その声は届かず、少女はもう一人の男の元へと駆けていく。
『おはよう九条』
九条とよばれた彼は、漆黒の布地に藍色の美しい装飾を施した上質な布で体を包んでいる。艶やかな長い黒髪を軽く結っているが、そのひとつひとつが見事に彼の美貌を引き立たせていた。
すると、それまで無表情だった九条の顔がわずかにほころび口元に笑みが浮かんだ。
『…よく眠れたか?』
『うんっ!』
やがて風にのって聞こえる彼女らの会話。何でもない日常の風景だが、微笑み合う二人を目にした私は…幸せだった彼女との想い出が脆くも崩れ去ってしまうほどに激しい嫉妬の念にかられている。
ふと、会話が途切れ…少女はうまく着こなせたと思った自分の姿を見て黙ってしまったようだ。
『私の格好、九条と釣り合っていない…』
居た堪れなくなった彼女は俯いてしまう。誰に見せるわけでもないのだが背が高く、センスの良い九条と並んでしまうと自分だけが別者みたいになってしまうのだ。
その時、くすっと笑う声がして少女が振り返ると…
庭で手折った一輪の花を手に、物腰の柔らかい青年が髪に優しくそれをさした。
『おはよう仙水…』
彼女の髪にはこの辺りにしか咲いていないガラス細工のように透き通った花びらをもつ可憐な花がキラキラと輝いている。
優しく花をなでる仙水の手が、花から少女の頬へとおりて離れた。
『私には誰よりも貴方が一番素敵に見えます』
ほのかに赤く染まった仙水の頬と照れたように薄く微笑みを含んだかたちの良い唇。すると恥ずかしさに瞳を潤ませた少女は、顔を隠すように下を向いてしまった。
『ありがとう、仙水』
(可愛いその顔をどうか隠さないで…その瞳に私を…)
彼女に顔を上げさせようと伸ばした仙水の手は儚く中を彷徨う。
『―――…っ!!』
嫌な予感にはっとした仙水が彼女を抱きしめようとするが…顔を上げ、寂しそうな笑顔を向けた少女の姿はどんどん周りと同化し…やがて見えなくなってしまった。
それまで彼女が立っていた場所には、髪にさしたはずの花がバラバラに砕け散っている。
『…仙、水…っ』
涙に濡れた悲しみ溢れる彼女の声。仙水は胸が引き裂かれるような激しい苦しみに襲われながら必死に少女の姿を探す。
そして…周りを見渡せばそれまで美しく咲き誇っていた花々たちは色を失い荒地へと化している。
『……』
瞳にうつった白と黒の世界…彼女を失ったのだと実感した仙水は茫然と立ち尽くし心は虚無の空間を漂う。一瞬にして絶望感が己を支配し、私は力なく膝をついた…
すると…
「…大丈夫か?仙水」
「仙水っ!!」
激しく肩を揺さぶられ、重い瞼をうっすらと開いていく。
そして徐々に覚醒していく青年の意識。
目を見開くと、藤色の髪を高く結った青年の心配そうな顔が視界に飛び込んできた。
「…大和…」
「お前、酷くうなされてたぞ」
「…すみません。うたた寝をしてしまったようですね」
仙水は寄りかかっていたソファの背もたれから上体を起こすと、何かが頬を伝い…それが手の甲を濡らした。
「…彼女の夢でも見ていたのか?」
大和と呼ばれる青年は彼の零れ落ちた涙をみて眉間に皺をよせる。
「…どうでしょう」
顔を上げぬままその場を立ち去ろうとする仙水。
…しかしそんな彼に大和は食いついて離れない。
「お前は隠してるつもりかもしれないけどな…気付いていないのは彼女くらいだ」
「……」
大和の言葉にピタリと足を止めた仙水。
そしてゆっくり振り返り…
「…私は隠しておりませんよ?あの方を心の底からお慕いしております。エデン殿にも九条にも…もちろん貴方にも譲る気はありません」
どことなくキュリオを思わせる仙水の端麗な容姿。
いつも慈しみを湛えていた彼の優しい微笑みは彼女を失ってからというもの、聖人とは思えぬほどに暗い影を落とし…完全に闇に囚われていのだった―――