想い涙
愛里
繋いだ手を離して、わざと半歩分、遅れて歩く。
准が持つ紙袋は、ゆきの部屋にあったマグカップと同じインテリアショップのものだ。
ゆきのはにかんだ笑顔を思い出して、ため息が出る。
「人の背後でため息つくなよ」
「ひどい。何かあったのか、優しく聞いてくれたって良いじゃん」
准は立ち止まると、半笑いでわたしの言った言葉を繰り返す。
「笑うくらいなら言わなくていいよもう!」
「そういえばさ、同窓会のことなんだけど……」
「あからさまに話題変えた!」
ふざけ合って、いつの間にか話題が変わって、またふざけ合って。
いつも、その繰り返し。
ゆきには軽口程度にしか言うことができなかったが、実際のところ、このままの関係性でいいのかずっと悩んでいた。
居心地はいいけれど、ただの甘えのような気もする。
大学の友人の中には、今が一番遊べる時期なのにもったいないという人もいる。
飲み会で隣になった4年生の先輩から、「彼氏いるの?」と聞かれたとき、准には一度も感じたことのない大人の魅力とときめきを感じたし、少しだけ答えに迷ったのも確かだ。
ショーウインドウ越しに、インテリアショップの店内が見えてうんざりする。
テーブルと、向かい合う二脚の椅子。
テーブル上には、桜をあしらったランチマットとプレートが置かれている。
二人で始める新生活、と大きく書かれたポップが虚しかった。
わたしたちはきっと、何も始まっていない。
「でさ、そのときサークルの先輩たちが……」
もう一度、准が手にしている紙袋を見つめる。
ゆきの話を聞いて、高望みはしなかったけれど、少しくらいは期待していたのに。
紙袋の中身は、共通の友人への誕生日プレゼントだった。
わたしへのプレゼントではなく、どちらかの部屋に置くための物でもない。
ならばせめてと、自分で代金は払うから家で使うコップを選んでほしいと頼んだら、バイトもしてない奴は百均で十分だと、想像していた通り一蹴された。
「タオルかあ」
「なんだよ、太田が自分でタオルがほしいって言ったんだって」
「知ってる。梅雨時でタオルが足りなくて困ってるんでしょ?」
ここ1ヶ月で得た情報の中で、一番どうでもいい情報だ。
「そういえば太田さ、すでにバイト掛け持ちしてるって」
「掛け持ち?どことどこを」
「ラーメン屋とトンカツ屋。両方まかない付きだから食費もほとんどかからないって言ってた」
想像してみて、太田くんの人懐こそうな表情はその二つの店によく似合っていた。
「わかる、その組み合わせ太田君っぽい」
「だろ?あいつ声良いし、人と話すのほんと好きだからな。まだ入って一ヶ月ぐらいなのに、バイト先の奴らとほぼ毎晩飲んでるって」
「さすが太田君……って違う!」
「おまえノリツッコッミまで習得したのかよ」
うまい具合に話がずらされている。
「現実ってこんなもんだよね」
「は?」
歩行者用の信号機は赤に変わったばかりだった。
だらだらと横断歩道を歩いていた女子高生のグループがようやく渡り終えると、乗用車が痺れを切らしたように猛スピードで走り去った。
「ここの信号って長いからやだよねー」
「信号変わったの絶対未花のせいだからな」
「なんでよ」
理不尽な言い分に軽く腕を叩くが、返事はなかった。
「まさかのシカトですか」
准の視線をたどると、駅ビルの壁面に巨大な宣伝広告があった。
「あれ、愛里だ」
最近CMでよく見かける、化粧品の新ブランドの広告だった。
「……有名、なんだ」
「わたしはモデル時代から知ってるけど、有名になったのは最近かな。愛里みたいなのがタイプなの?」
信号が変わり、軽快な電子音が鳴る。
ちらりと盗み見た准の表情は思いの外真剣で、顔色が悪いようにも見えた。
「もしかして調子悪いの?」
問いかければ、准は困ったように笑う。
「別に、調子は悪くないよ」
准とは長い付き合いだが、そんな笑い方をするのは初めて見た。
なんだかんだ言いつつも周りのことをよく見ていて、弱いところを見せない、みんなから頼られる兄的な存在。
それが准だった。
ほんの一瞬立ち止まった隙に、准と同じ速度で人の波をくぐり抜けることができなくなり、背中が遠くなっていく。
「准、待って!」
周りを歩く人たちが視線をこちらに寄越し、またすぐに向き直った。
肝心の准には、その声が届いた様子すらない。
ようやく信号を渡り終えたところで、その場に足を留めた。
悪いことは重なるとはよく言ったものだ。
一緒に歩いているのが友達だったら、きっと准はわたしのことを置いて行ったりしなかっただろう。
准の中で彼女というポジションの人間がどういう位置づけになっているのかはわからないが、少なくともわたしにとっては、デート中の彼女を置き去りにする彼氏なんてもう彼氏ではない。
再び信号が変わり、動き始めた人たちが、立ち尽くすわたしを邪魔そうに押し退ける。
ようやく人波がまばらになった頃、走って引き返す准が見えた。
「ごめん」
駆けてきた准は息も絶え絶えに告げ、膝に手をつく。
「こっちこそ」
もうだめなのかもしれないな。
今ならきっと、友達に戻れる。
また准に彼女ができたら、いや、それよりも先にわたしが彼氏をつくればいいのか。
そろそろ、新しい一歩を踏み出すタイミングなのかもしれない。
「行こう」
准は空いている手でわたしの手を掴み、足早に歩き出した。
「もしも、もしもの話なんだけどさ」
言葉を切って、准は俯いた。
「別れたいって言ったら、どうする?」
考えていたことを当てられたのかとどきりとする。
「えっと」
准は瞳を伏せて、やっぱりなんでもないと首を振る。
繋いだ手が、痛いほど握りしめられた。
准が持つ紙袋は、ゆきの部屋にあったマグカップと同じインテリアショップのものだ。
ゆきのはにかんだ笑顔を思い出して、ため息が出る。
「人の背後でため息つくなよ」
「ひどい。何かあったのか、優しく聞いてくれたって良いじゃん」
准は立ち止まると、半笑いでわたしの言った言葉を繰り返す。
「笑うくらいなら言わなくていいよもう!」
「そういえばさ、同窓会のことなんだけど……」
「あからさまに話題変えた!」
ふざけ合って、いつの間にか話題が変わって、またふざけ合って。
いつも、その繰り返し。
ゆきには軽口程度にしか言うことができなかったが、実際のところ、このままの関係性でいいのかずっと悩んでいた。
居心地はいいけれど、ただの甘えのような気もする。
大学の友人の中には、今が一番遊べる時期なのにもったいないという人もいる。
飲み会で隣になった4年生の先輩から、「彼氏いるの?」と聞かれたとき、准には一度も感じたことのない大人の魅力とときめきを感じたし、少しだけ答えに迷ったのも確かだ。
ショーウインドウ越しに、インテリアショップの店内が見えてうんざりする。
テーブルと、向かい合う二脚の椅子。
テーブル上には、桜をあしらったランチマットとプレートが置かれている。
二人で始める新生活、と大きく書かれたポップが虚しかった。
わたしたちはきっと、何も始まっていない。
「でさ、そのときサークルの先輩たちが……」
もう一度、准が手にしている紙袋を見つめる。
ゆきの話を聞いて、高望みはしなかったけれど、少しくらいは期待していたのに。
紙袋の中身は、共通の友人への誕生日プレゼントだった。
わたしへのプレゼントではなく、どちらかの部屋に置くための物でもない。
ならばせめてと、自分で代金は払うから家で使うコップを選んでほしいと頼んだら、バイトもしてない奴は百均で十分だと、想像していた通り一蹴された。
「タオルかあ」
「なんだよ、太田が自分でタオルがほしいって言ったんだって」
「知ってる。梅雨時でタオルが足りなくて困ってるんでしょ?」
ここ1ヶ月で得た情報の中で、一番どうでもいい情報だ。
「そういえば太田さ、すでにバイト掛け持ちしてるって」
「掛け持ち?どことどこを」
「ラーメン屋とトンカツ屋。両方まかない付きだから食費もほとんどかからないって言ってた」
想像してみて、太田くんの人懐こそうな表情はその二つの店によく似合っていた。
「わかる、その組み合わせ太田君っぽい」
「だろ?あいつ声良いし、人と話すのほんと好きだからな。まだ入って一ヶ月ぐらいなのに、バイト先の奴らとほぼ毎晩飲んでるって」
「さすが太田君……って違う!」
「おまえノリツッコッミまで習得したのかよ」
うまい具合に話がずらされている。
「現実ってこんなもんだよね」
「は?」
歩行者用の信号機は赤に変わったばかりだった。
だらだらと横断歩道を歩いていた女子高生のグループがようやく渡り終えると、乗用車が痺れを切らしたように猛スピードで走り去った。
「ここの信号って長いからやだよねー」
「信号変わったの絶対未花のせいだからな」
「なんでよ」
理不尽な言い分に軽く腕を叩くが、返事はなかった。
「まさかのシカトですか」
准の視線をたどると、駅ビルの壁面に巨大な宣伝広告があった。
「あれ、愛里だ」
最近CMでよく見かける、化粧品の新ブランドの広告だった。
「……有名、なんだ」
「わたしはモデル時代から知ってるけど、有名になったのは最近かな。愛里みたいなのがタイプなの?」
信号が変わり、軽快な電子音が鳴る。
ちらりと盗み見た准の表情は思いの外真剣で、顔色が悪いようにも見えた。
「もしかして調子悪いの?」
問いかければ、准は困ったように笑う。
「別に、調子は悪くないよ」
准とは長い付き合いだが、そんな笑い方をするのは初めて見た。
なんだかんだ言いつつも周りのことをよく見ていて、弱いところを見せない、みんなから頼られる兄的な存在。
それが准だった。
ほんの一瞬立ち止まった隙に、准と同じ速度で人の波をくぐり抜けることができなくなり、背中が遠くなっていく。
「准、待って!」
周りを歩く人たちが視線をこちらに寄越し、またすぐに向き直った。
肝心の准には、その声が届いた様子すらない。
ようやく信号を渡り終えたところで、その場に足を留めた。
悪いことは重なるとはよく言ったものだ。
一緒に歩いているのが友達だったら、きっと准はわたしのことを置いて行ったりしなかっただろう。
准の中で彼女というポジションの人間がどういう位置づけになっているのかはわからないが、少なくともわたしにとっては、デート中の彼女を置き去りにする彼氏なんてもう彼氏ではない。
再び信号が変わり、動き始めた人たちが、立ち尽くすわたしを邪魔そうに押し退ける。
ようやく人波がまばらになった頃、走って引き返す准が見えた。
「ごめん」
駆けてきた准は息も絶え絶えに告げ、膝に手をつく。
「こっちこそ」
もうだめなのかもしれないな。
今ならきっと、友達に戻れる。
また准に彼女ができたら、いや、それよりも先にわたしが彼氏をつくればいいのか。
そろそろ、新しい一歩を踏み出すタイミングなのかもしれない。
「行こう」
准は空いている手でわたしの手を掴み、足早に歩き出した。
「もしも、もしもの話なんだけどさ」
言葉を切って、准は俯いた。
「別れたいって言ったら、どうする?」
考えていたことを当てられたのかとどきりとする。
「えっと」
准は瞳を伏せて、やっぱりなんでもないと首を振る。
繋いだ手が、痛いほど握りしめられた。