弟、時々恋、のち狼
「ツカサ、と。
あなたにお仕えした社の司、侍従の長です」
夢の記憶に、その顔はない。
その名は……。
にわかには信じられない話し。でもこのところ、その突拍子もなさにも免疫がついてきたようだ。
「じゃあ……司は役職名でしょ?ホントの名前は?」
「…………。ありません」
ない、なんてことがあるんだろうか。
「とにかく」
口を開きかけたアタシを遮るように、ツカサがアタシの腰に腕をまわした。
「私は常にあなたの傍らにいると決めました。
かけがえのない、我が君」
驚きに声が出ない。
息のかかりそうな距離。
突然訪れたパニックの極限に、体も思考も停止する。
「さぁ、学校に行くところでしたね。一緒に参りましょう」
ふわりと離れると、今度はお姫様をエスコートするような優雅な物腰で一礼し、アタシの手を引く。
柔らかな動きとは打って変わって、うむをいわせぬ力。
よろめきながら歩き出した。
「ちょっと……」
手を引き先を行くツカサの背中にはまるで、「問答無用」と書いてあるようだ。アタシが何を言おうが、断固譲らないだろう。
誰にも会いませんように!
ふりほどこうにもほどけない指に、クラクラする。
心のどこかでときめいている自分が恨めしい。
ひんやりとしていた朝の風は、いつのまにか暖かく感じられるほどになっていた。
きっと朝練はもう始まってしまっただろう。
ロウもきっと……音楽室の中だ。
さすがに学校が近づけばツカサも手を離してくれるだろう。
はぁ。
特大のため息。
わざとらしくツカサに向けてみた。
ホンっト、なんとか誰にも会いませんように!!
心から、そう願った。