インセカンズ
緋衣は、少し先を行く亮祐の背中を見つめる。

彼に対する一ノ瀬の本気を見せつけられた後では、自分の想いなどちっぽけなものに思えてくる。中途半端な気持ちで結婚して、一体誰が幸せになれるというのだろうか。一ノ瀬の言動が、図らずも緋衣の気持ちの在り処に一石を投じるに事になったとは、彼女は知らずにいるだろう。

「……亮祐」

どこに向かおうとしているのか、緋衣はエントランスへと歩みを進める彼を呼び止める。

「ごめん、亮祐。やっぱり言い訳は聞きたくない。どんな理由があったにせよ、私には受け入れる器量も受け留める覚悟もない。今日はここでお別れさせてください」

緋衣はまっすぐに亮祐を見る。緋衣の意志の強さを知っている彼は、数瞬見つめ返した後、諦めたように口を開く。

「俺からは何も言えた立場じゃないしな。どんな結果になろうと、俺はそれに従うつもりでいるよ」

憂いを帯びたその顔は、いつも自信満々に緋衣をリードしてきた亮祐のものとは思えないほど陰りを見せる。同じ人間がここまで異なる表情をしてできるものなのだろうか。緋衣は、彼の顔をまるで夢から覚めた思いで見つめていた。

「……連絡します」

そう言い残し、緋衣は亮祐の横を通り過ぎるとビルを後にした。

緋衣は、今にも泣き出しそうになる自分を必死に抑えていた。

自分の身の可愛さから、ひとつの恋が終わっていた事を認められずにいた。‘気持ちがなくなった訳ではない’なんて、曖昧な表現をして気付いていないふりをしてきた。とっくに、緋衣の想いは亮祐のもとから離れていたのに、結婚という二文字にしがみ付いてしまった。もう彼のことは好きではない。その真実を認めるのが怖かった。恋人がいるのに、他の男性へと揺れてしまった自分が許せなかっただけだ。

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