インセカンズ
その週の金曜日の夜。緋衣は、安信の携帯を鳴らしていた。

「よう、アズ。どうした?」

呼び出し音は2コール目で途絶え、電話の向こうからは、四時間前にも耳にした聞き馴染みのある低音が返事をする。彼の低い声は、電話越しだとさらに色気を増して、うっかり気を抜くと腰にくる。

緋衣がプライベートで彼に電話をするのは初めてのことだったが、安信の口振りはいつもと変わらない。

「金曜の夜なのに、すみません。ヤスさん、今どこにいましたか?」

「ん? 仲間に飲み会呼び出されて、これから家出るところだけど」

安信がそう答えると、二人の間に数瞬の無言が流れる。

「……アズ?」

「いえ。だったらいいんです。夜分にすみませんでした」

緋衣はすぐさま終話ボタンに手を掛けようとするが、安信が慌てた口調で引き留める。

「おい、待てよ。飲み会なんてどうせいつものメンバーだし何とでもなる。今はアズが最重要課題だ。どうした? 何かあったのかよ?」

「何かっていうか……。直接会って話がしたいんですけど、これから行ってもいいですか?」

緋衣は、自分の声が震えてなかったら良いと、さっきからそればかり祈っている。携帯を持つ手は既に震えており、このままでは、安信を一目見たその時には、緊張のあまり気を失ってしまうかもしれないとさえ懸念する。

「いいけど、それなら俺が迎えにいく。前に行ったコンビニでいいか?」

「実は今、ヤスさんちの最寄り駅にいるので迎えは大丈夫です。マンションに着いたら、エントランス開けてくださいね」

緋衣は、それじゃあ、と言って電話を切る。手の震えが治まるまで何度か深呼吸を繰り返すうちに、胸の鼓動も落ち着いてきた。緋衣は、座っていたホームの椅子から立ち上がると、改札までの階段を下りていった。

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