インセカンズ
「アズ、こっち!」

出張当日。新幹線乗り場の待合い室の前に差し掛かったところで、知った声に呼び止められる。振り返ると、喫煙室を背にしてこちらへ向かってくる安信がいた。ビジネスバックひとつの安信に対して、緋衣はショルダーバックの他、スーツケースを引いている。

「おまえだけ、旅行行くみたいだな」

「向こう着いたら、一先ずコインロッカーに預けますから」

「その方がいいな。それにしても……」

安信は、そこで一旦言葉を区切ると、緋衣の爪先から頭のてっぺんまで、感心するように眺める。

「何ですか?」

「普段は大抵パンツスタイルなのに、今日はスカートなんだな」

緋衣の今日のスタイルは、ツイードのノーカラージャケットに、膝頭がちょうど見える位のワンピースだ。

「接待って言いましたよね? 女性を連れていくって、つまりこういう事ですよね」

二人は話を続けながら、エスカレーターへと向かう。

「分かってんじゃん。そういうところは柔軟なんだな」

「商談がスムーズにいく為なら、これ位、厭わないですよ」

男女雇用均等法から数十年経過したとはいえ、所詮この世は男社会であることは社会に出てから嫌という程思い知らされている。女性だという理由で門前払いを食らったり、軽くあしらわれたりした事は一度や二度ではない。けれども、数年前ならいざ知らず、今の緋衣はそれに目くじら立てようとは思ってない。

「偉いよな、女ってさ」

「男社会で生きている男性も偉いと思いますけど」

緋衣の言いたい事を理解したのか、安信がああと頷く。

「上司の挫折とか目の当たりにすると、戦々恐々とするよな」

「成績出すのと出世はまた別ですからね」

「ホントだよな。目の前の仕事だけに集中させてほしいよ。ところでアズ、帰りはどうすんだ?」

「同市にいる知人が泊めてくれる事になっているので、時間は気にしなくて大丈夫ですよ」

亮祐が駅まで迎えにきてくれる事になっていた。年始の休みに会ったきり、2ヵ月振りになる。
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