インセカンズ
「最悪、最終ってだけで、向こうさん次第で早めに切り上げられるかもしれないしな。せっかくだから、楽しんでこいよ」

「はい。ありがとうございます」

出張を利用して恋人との今後について話し合いをするなど、口が裂けても言えなかった。そもそも、緋衣は今回の目的を亮祐に伝えていない。結婚のこと、舌足らずな女のこと、どのタイミングで口火を切れば良いのだろう。

せっかく緋衣を選んでくれた安信には申し訳ないが、仕事よりもその事で頭はいっぱいだった。彼女は、自分が臆病者だと知っている。勇気を持って切り出したは良いものの、自分の方があっさり捨てられるのではないかと不安さえ過る。

「スーツケース、上に上げるぞ」

「あ! すみません」

新幹線に乗車して座席を決めたところで、安信が緋衣のスーツケースを上の棚に片付ける。

当然のように言って軽々と持ち上げる一連の動作に、緋衣は思わず見とれてしまう。アミに嗾けられたところで安信相手に本気になる事はないが、近くにいると彼がモテるのも良く分かる。彼の魅力は外見だけではない。常に気配りを欠かさず、嫌味なく何でもスマートにやってのけるその姿勢も高く評価されているのだろう。

「どうした? 俺は着くまでちょっと仕事するけど、もう一度詰めとくか?」

緋衣の視線に気付いた安信は、パソコンを開こうとする手を止める。

「大丈夫です。仕事してください」

「そうか? 話し相手になってやれなくて、ごめんな」

「私の事は気にしないでいいですよ。たぶん、すぐに寝ちゃうんで」

昔から乗り物に乗ると、どういう訳かすぐに眠くなってしまう性質だった。
どんなに高熱が出ていても食欲がしっかりある様に、考えごとをしていてもついウトウトしてしまうのだ。

「ああ。そういうやついるよな」

「眠くはないんですけど、揺れが心地良いんですよね」

緋衣は持っていたブランケットを膝掛けにする。

「ちゃんと起こしてやるから寝てていーぞ」

安信は、緋衣が寝る準備をしたのを横目で見ると、軽やかな手付きでキー操作を始めた。
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