水平線の彼方に( 上 )
温室に入ると、例によってもう一枚の戸があり、それも開いた。
温室の中はしっとりする程の湿気に満ちていて、グリーンの香りが漂っている。

(はぁ〜…なんか落ち着く…ここ…)

緊張の初出勤を終えたからか、ものすごく肩の力が抜けた。
立ったままノハラに声をかけるのも忘れ、空気を吸い込んでいると、向こうから話しかけられた。

「…何だよっ!来てたのか?」

頭にタオルを巻き、軍手をしている。作業用のつなぎまで着ている姿は、まるで野良作業中の人みたいだ。

「お礼言いに来たの。今日、佐野さんとこ、初出勤だったから…」

ありがとうを言い出す前に、さっきのおばあちゃんの言葉を思い出した。
この中に長くいたら、きっとまた勘違いされる…咄嗟にそう思った。

「仕事、紹介してくれてありがとう。お陰で助かった。じゃあまたね!」

言うだけ言って、早々に向きを変えた。戸口に手をかけ、開けかけた所をノハラが止めた。

「おいっ、なに焦ってんだよ!」

指先が触れ、思わず引っ込めた。
意識したこともないノハラを、初めて意識した…。

驚いたような顔でこっちを見ている。
その顔から視線を離し、こう説明した…。

「さっき…庭でおばあちゃんに会って…彼女と勘違いされたから…長くいない方がいいかと思って…」

私の言葉を聞くなり、唖然とした。
またか…と呟く声が聞こえ、呆れるように言った。

「オレのばあちゃん、女の人見たらいつもそれ言うんだよ…気にすんな。それより、花屋の仕事どうだった?」

こっちへ来いと手招きする。
おずおずと中へ入り、作業台の側にある椅子に座った。


「思ってた以上にハードだった。水ばかり使ってるから、手もすごく荒れるし。佐野さんにハンドクリーム塗るよう言われて、買って帰る途中に寄ったの…」

ありがとうと改めて言うと、彼はアッサリ受け流した。

「礼なんていいよ、別に。それより水やら土やらってやつは、確かに手が荒れるな」

軍手を外したノハラの手は、白くカサカサしていた。
買ったばかりのハンドクリームを持って来れば良かった…と、少し後悔した。

「……続けられそうか?」

眺めていると、そう聞かれた。

「うん…と言っても、まだ三時間しか働いてないから、何とも言えないけど…」

正直に話すと、それもそうだな…と納得した。
椅子から立ち上がり、ノハラが仕事の続きを始める。その手元を見ながら、おばあちゃんのことを聞いた。

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